箒川沿いに湧出する大網温泉に行ってきた。
大網温泉は天保9年4月、関谷村の農民 庄之助により発見されたという。塩原村共有の温泉となり年期を決め入札により借用する形をとっていたが、佐藤某が湯守となり温泉宿を営む。当時は花柳病(瘡毒・疥癬)に治効ありとして浴客が絶えなかったという。当時は抗生物質もなく温泉治療だけが頼みだった。それだけ確かな効能の温泉だったのだろう。
車道から2丁(220m)あまり、300段程の階段を下りた河岸にある。坂の途中で福寿草をみつけた。
これは近年作られた新しい浴槽で「仙郷(せんきょう)の湯」と名づけられている。もうひとつ女性専用の「美人の湯」がある。かつてはこの高台に2層の湯治客用の建物が建っていたという。渓谷を望む景色もよくお湯もすばらしい。
階段を降り河岸にあるのが「石間(いしま)の湯」と「川原(かわら)の湯」で昔からある湯壷。手前が石間の湯で、奥が川原の湯だ。度重なる箒川の氾濫で浴槽を守るために、あちこち異様なコンクリートで囲われている。それがまた不思議な雰囲気を醸している。泉質は弱塩類泉で無色透明であるが硫気がある。川原の湯はコンクリートの天井からホースが差し込まれ、足し湯がされている?
石間の湯 64度 瘡毒 かいせん ぢしつ りんびやう
川原の湯 64度 せんしやく 中風
「塩原温泉案内」(T11)より
石間の湯、川原の湯上の斜面の亀裂に張られた注連縄。この裂け目がもともとの泉源なのか?
魚止の瀧 別名龍門の瀧。大網温泉の下、箒川の流れ激して飛瀧をなす所。魚類はこの瀧に遮られ上流に遡れないのでこの名がついた。川原の湯の目の前の段差?