がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

上深田 棚倉追分の3基

奥州道中と棚倉道の分岐。この分岐には時代を経て3基の道標が建っている。木々に囲まれているので影になりうまく撮影できなかったのと、風化して文字が読みづらく今まで敬遠してしまっていた。元禄4年の道標の裏面などは全く解読できず。
紫衣事件で幕府の怒りを買った沢庵宗彭と玉室宗珀が奥州道中と棚倉路に分かれた地点。沢庵がそのとき詠った決別の歌が案内板に書かれている。
何れの日にか旧楼翼を双べて帰らん 常無く只此の如し 世上の禽も枢機有り

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上深田の道標1
90×24×24cm 元禄4年(1691) 36.890729,140.049379
[右]
此より 右 多(た)なくら道
[中央]
此より 左 奥州通
[左]
南無阿弥陀
[裏]
元禄四年
上深田村念佛供養塔
十月二十八日
(大田原晴雄氏の解読)

元禄四年辛未 一 
帰念佛供養冬敬白 
七月二十九日
大田原市 市指定史跡の紹介ページより)

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上深田の道標2
127×29×29cm 年代不明 36.890729,140.049379

[左]
向右経乙連沢 寒井至棚倉
[中央]
   右 至大田原町
向テ
   左 経市野沢至鍋掛
[裏]
○○十二月十四日建立
地金四円大

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上深田の道標3
42×16×14cm 年代不明 36.890729,140.049379
[正面]
   御大典記念  □□年團
           小瀧支部建
[右]
   北 市野沢 練貫道
[左]
   東 乙連沢 羽田道
[裏]
   南 中田原 大田原道