その2へ
尾頭山の南東側斜面は、江戸期の今尾頭道と明治尾頭新道のつづら折りが複雑に交差している。前回、谷筋を上がる今尾頭道から明治尾頭新道に出たものの、今尾頭道の続きの道をみつけることができなかった。この尾頭山の南東側斜面に存在する道跡を丹念に調べていけば、今尾頭道のルートを解明出来るかもしれない。尾頭山北西にあるという古尾頭峠の探索は、こちらがはっきりしてから取りかかろう。
尾頭山の南東側斜面へは、尾頭トンネル三依側出口から東電巡視路を上がるのが近道だ。このルートは中世から江戸期の尾頭道のルートであるといい、そのつづら折は二十七曲がり、九十九折りなどと呼ばれている。
まずは明治尾頭新道のルートをトレースして、前回辿ったトラックデータに重ね、尾頭山の南東側斜面の大まかな全容を確認したい。
探索の2で示した地図の赤い線は、後日訪れた際に歩いた箇所を加えたものだが、今尾頭道四十七曲がりから明治尾頭新道に出会う箇所まで行かずに引き返してしまった。改めて再訪した際のトラックデータを重ねたものが下の図だ。
峠から尾頭新道のつづら折を降り、出合いを通り倉下尾根入口まで行って、前回行った分岐を上がり、つづら折途中にあった未踏の分岐を確認して元の道を戻ってくるというもの。
尾頭峠の切通しから歩くこと850m、一つめの折返しがある。折返しの先は崖崩れになっており、その先も道跡が続きそうだが道幅がかなり狭くなっており未確認。折返し部分はかなり崩れてしまっており、下の段に降りにくい。
折り返してもなお、ゆったりした道幅が確保されている。この坂道が明治尾頭新道の道筋で間違いないようだ。
350mほど進むと高度1050mで水平の道跡に合流。北に行くと途中から道幅が狭くなり多少ガレるが倉下尾根入口分岐に降りることが出来る。ショートカットコースか。明治尾頭新道は南に折返す。一、二段目と比較すると道幅はかなり狭くなっている。
今尾頭道からの出合いに似た山側斜面が岩場のカーブにさしかかる。前回訪れた際、ここが出合いだと思い引き返してしまった。出合い箇所をGPSでウェイポイント登録していたので、ナビゲーションにしておいたら、ここで現地到着のアラームが鳴ったのだ。実際は13m下の尾根続きの場所だった。
ここが出合いから登ってすぐの折返し。裏手は例のつづら折りで上がってきた谷筋の上になっている。今尾頭道はもしかしたら谷筋を頑張ってここまで上がってくるのかもしれない。
Yoshiさんの文章では、「そのまま明治の尾頭道を辿って北に折り返すと、幸いにも途中で今尾頭道の続きを発見」とあるが、それらしい分岐は見つけられなかった。ビジターセンター地図のとおりなら、今尾頭道は、この明治尾頭新道のつづら折の高度1000mの段と1050mの段の間を通ることになる。ずっと崖下を気にしていたが、それらしい道跡は見つからなかった。
出合いから倉下尾根入口までは何箇所か崖崩れがありかなり危険な部分だ。なんとか倉下尾根入口手前の分岐に辿り着き、帰りはショートカットして1050mの段に戻るために分岐のつづら折を上がった。
途中の石積みがある場所に北へ向かう分岐があるのに気づき進んでみる。これはちょうど明治尾頭新道のつづら折の高度1000mの段と1050mの段の間を通ることになるはずなので、今尾頭道のルートに使われている可能性が高いだろう。
しかし途中の崖崩れが越えられず、向こう側に行くことができなかった。数十m上にショートカットコースでこの崖を越えた岩場があった。この下方は二枚前の画像の明治尾頭新道倉下尾根入口手前の崖崩れだ。
帰り際に次回に繋げる発見があった。明治尾頭新道の一つめの折返しから80mほど行った処から北東方向に降りる道跡を見つけた。ビジターセンターの地図と比較するとかなり南寄りだが、かなりデフォルメされた地図なのでなんともいえない。今回は梅雨の晴れ間を待ってのスタートだったので、かなり遅くなってしまった。この道跡の探索は次回としよう。
果たしてこれが今尾頭道のルート解明の糸口となるのか。
藪も濃くなりつつあるし、熊にこそ会わないがデッカイ蜂の羽音が怖い今日この頃。
その4へ
参考文献・サイト
山野・史跡探索(Yoshiさんのサイト)