[2009.12.10修正]
上三依側から再探索、まずは気になった江戸期の遺構の残る尾根に向かう。
上三依の一里塚、石仏群を過ぎ、尾頭沢を渡る前に左手に見える尾根をつづら折りで上がっていく。
つづら折入口から尾根を見上げるの図。
そこにはかつて不動明王の仏堂があったという。天保期建立の道標があり、「右あいづ 左山道」とある。右を行くと三依方面で先ほどの石仏群付近で会津西街道に合流する。左は熊野堂?
R400の舗装道路を挟んだ山際に階段の付けられた取付きがある。どうやらこれが三島新道尾頭ルートの名残りのようだ。
尾根先端の取り付きから道跡を90mほど遡れるが、コンクリの法面で遮られる。道跡の高さはこのあたりで現在の道路より4mほど高い位置にある。
崩壊地帯地図からみると、前回推定した場所よりもっと西寄りでR400に合流している。とりあえず法面のとぎれたこの辺から上がってみる。
道路から高度40mほど斜面を上がった処に道跡を発見した。R400と平行に西にもまだ行けるようだ。R400とどこで合流するのかは後回しにして、崩壊地帯方面に進んでみる。
崩壊地帯までの様子は折返しの帰路で紹介するとして、大きな崖崩れもなく崩壊地帯に到着。
旧道は崩壊地帯一番左の崩落点の手前でつづら折して高度を上げている。
一番左の崩落点の頂点がちょうどつづら折の位置の高さになっている。沢の底まで高度差50mといったところか。
風化の進んだ細かい流紋岩で、明らかにこの地帯だけ地質が違っている。
なぜこの地点でつづら折して高度を上げているのだろうか。もともとこの高さで崖沿いに道があったが、崩落が進み断絶、この崩れを巻くためにより高い位置に道を作った、とか?
20mほど崖を下り回避路の形跡を探す。そのまま直登でつづら折が戻ってくる地点に上がった。つづら折の折返し位置からの標高差は17m。道跡に上がると斜面をシカが降りていく処だった。
左の崩落点を上から見下ろす。尾頭大橋が見える。
道跡は左の崩落点の上を巻いて進むが、より高い位置まで崩れてしまった2番目の崩落点で断絶していた。
2番目の崩落点手前の斜面に積み上げられた石。
あの落葉で覆われた斜面が覗く場所が向こう岸だろうか。
このあと、この2番目の崩落点の上を巻いてみたのだが、向こう岸に降りる気にはなれなかった。ツメが甘いと言われるだろうが、ヘタレなりに頑張ったつもりだ。
今回の探索のGPSデータから抜き出した旧道ルート地図
つづく。