出羽三山総奥宮 湯殿山
山形県鶴岡市の湯殿山に行ってきた。R121から湯殿山有料道路で仙人沢まで上がる。有料道路を縫うように旧六十里越街道が通っている。
出羽三山は三つの独立した山ではなく、出羽丘陵の南端の月山(1980m)を主峰として、その尾根沿いに西4キロの地点のピークが湯殿山(1504m)、北に16キロ稜線の端のピークが羽黒山(412m)と呼ばれている。月山には八方七口と呼ばれる登山口がある。羽黒、荒沢、注蓮寺、大日坊、大井沢、本道寺、岩根沢、肘折の八つで、このうち羽黒と荒沢が実質的に一つなので七口という。この中でもっとも重要なのが羽黒荒沢口で表口と呼ばれ、羽黒山に羽黒修験道の本社があり、月山はその奥の院とされていた。ん?では湯殿山のポジションはおまけ的なもの?湯殿山の発見、開山は三山の中では後になってからで、後付け感は否めない。
仙人沢 湯殿山参籠所前 平成5年出羽三山開山1400年記念で造られた大鳥居。ちょっとバブリーで引く。今や修験道の聖地は車で来れる観光地なのだ。
仙人沢 玉垣供養碑
神社入口までは専用バスで上がる。途中梵字川を渡る御沢橋を渡る。この神橋のたもとから本宮に向かう梵字川の両岸には、13の末社が祀られている。この神橋から御滝に至る間の末社を巡拝することをお沢駆けという。
バス終点本宮入口の建物の後ろ辺りに御滝がある。
古絵葉書 湯殿山御瀧並ニ鉄梯子
お沢駆けから御瀧不動尊を拝し、瀧の脇の90mの鉄の梯子を登る。そこに出羽三山の総奥の宮、湯殿山神社がある。
現在は観光用の道が作られ、清川(梵字川上流)右岸から回り込むように安全に本宮へ行けるようになっている。途中に鎮座する牛の像。丑歳は湯殿山の御縁年とされている。
古絵葉書 湯殿山神社参拝口
湯殿山神社本宮では、参拝に際して現在でも素足になり、お祓いを受けてからでないとお詣り出来ない。お祓場で小さな神の人形(ひとがた)を受け取り、身体の穢れを人形に移し、最後に息を吹きかけ、水の流れに流す。
身を清め終わり木戸をくぐってついに御神体を拝観する。
十二日 霧天。卯の刻より湯殿に詣づ。道に月山と云ふ刀鍛冶屋の跡あり。下る事三里半にて谷口に高さ三間幅五間計りの大石あり。是れが湯殿山なり。色赤く、此石より汗の出る如く湯湧き出る也、因て湯殿と名付く、此石を金剛界大日と称す。又谷合を下ること五丁にて霊地行場所々にあり。此間に五間計りの金の鎖二ヶ所あり。又三間計りの金の梯子あり。元の湯殿に戻る。銭踏道など云へるは此湯殿の道の事也。夫より月山に登る。元の道へ引返し夜に入る頃宿坊薬王寺へ帰る。夕飯仕ひ夜話の時役僧何か奉納句などなきやと云ふ、古へ翁も登山の時宿坊にて一句望みたりとあり。予にも其通りなり。短冊取出し望むに付書付ける、
憂き業の影耻かしや月の山
四つの苦を洗ふ湯殿や霧時雨
と書付け役僧に渡す、一興なり。
泉光院野田成亮 日本九峰修行日記より
湯殿山大権現の御神体の巨岩は清川に臨み、岩塊のあちこちから温泉を噴出している。御神体の岩は水酸化鉄の沈殿によって形成された赤褐色の噴泉塔だ。現地では気付かなかったが、御神体の鳥瞰写真を見ると、右側の突起が擦切りで平らになっており、浴槽のように擂鉢になっている。これが湯殿の所以か。
大きな鏡と幣束の飾られた御神体の前で拝礼してから、湯の溢れる御神体に登る。左端に人工的に作られた階段があり、御神体に登っていく。けっこう熱めのお湯が足下を流れている。御神体の上を素足で登るってどうなの?と思ったりしたが、大地の息吹を足の裏で直接感じる御神体との一体感は、畏怖と感動の入り交じった貴重な体験だった。参道は左端から上がり、御神体の裏をまわると、どんずまりが御瀧の望める拝所になっていて、そこで拝礼して戻ってくる。参道の左右には多くの梵天が奉納されている。
いや、現代人の俺がこれだけびっくりするんだから、昔のひとはそりゃあぶったまげたろうよ。あんなアトラクションは、そうそう体験できないよ。御利益ありそうな気がしちゃうもの。
これからは湯殿山碑に対面するとき、
おうおう、こんな遠くから行きましたか、観ましたかアレを!と、
より親近感を持って接することができるかな。