がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

室井家の四脚門@無栗屋百目木

波立の薬王寺脇を通りながら、塩野崎の戦いに思いを馳せていると、以前からどこにあるのか知りたかった「室井家の四脚門」を偶然見つけた。場所は建設中の黒磯インターチェンジのすぐ裏。



天文14年(1545)大田原氏が町島の水口居館から移って大田原竜体城を築城する際に、室井家の先祖である七右衛門が杉・栗・ケヤキを献上し、その功績を認められて、この四脚門を建てることを許可されたという。当時、こういう立派な門は藩の許可がないと立てることが出来なかった。
材木を献上といえば、嶽山箒根神社のご神木も大田原竜体城の築城の際切り出されたんじゃなかったっけ?天文2年(1533)資清が鳩ヶ森城を落城して、以来箒根神社は大田原城主のナワバリとなった。領主が寺社を加護する理由は、心の拠り所にしたいってのもあるんだろうけど、立派なご神木を我が物にしたいからという理由もある気がしてならない。



現在の門は江戸後期に建てられたもの。茅葺だったんだろうなぁ。百目木は高林街道のちょっと裏手。塩野崎の戦いは薬王寺脇沿いのカノ道(弥六道)沿いを中心とした戦闘だから、この四脚門に火が掛けられなかったのは奇跡に近い。





この辺り無栗屋村・塩野崎村は大田原藩領で、晴清(1567-1631)が敬信した薬王寺峯薬師があったり、波立には領民が城主の健康を祈願する享保5年(1720)建立の「城主安全碑」があったりする。なんで波立に城主さまをあがめる碑が?と前から思っていたのだが、板室温泉神社で大田原城主の奉納した弘化3年(1846)建立の常夜灯をみかけて、領主でも「下野の薬湯」塩澤に湯治療養に来ていたりするのをみると、そのルート沿いの波立で愛想笑いでお出迎えする領民たちの姿が思い浮かんだりする。あ、でも通過時は「下に下に」なのかな。