がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

狐塚之址

県道182号線(東小屋黒羽線)沿いに川西町文化会が建立した「狐塚之址」の案内碑がある。

那須郡誌」によると、

かつて旧金田村(現大田原市)小滝、乙連沢、篠原の境界線の北方に狐塚(きつねづか)と呼ばれる円い塚があったという。この塚は玉藻稲荷神社の近隣にあり、那須野九尾の狐の屍を埋めた処だと伝えられていた。昭和の初め頃にこのあたりは開墾されて現在は全くその形を止めていない。開墾で塚を崩した時、中から直径一尺(30cm)くらいの底が平らで浅い焼き物の瓶が出てきたという。中は土だけで何もなかったというが骨壺だったのかもしれない。 実際はもともと「古塚(こつか)」と言っていたものを「狐塚(こつか」と書くようになり、「きつね塚」と訓読したものと考えられる。 「狐塚之址」の碑は、なんの痕跡もない伝承の地を後世に伝えるために昭和22年に川西町文化会が建立したものだった。 旧両郷村(現大田原市)の大塚にある大塚古墳にも那須野九尾の狐の尾を埋めた塚であるという伝承がある。

「日本九峰修行日記」の野田泉光院が金田村に滞在した際に、篠原稲荷を詣でている。その近くにある狐塚についても触れている。

十四日 晴天。滞寺。朝早々より篠原稲荷と云ふに詣づ。此所玉藻の前に化けし狐の墳所と云ふ、 小社也。後ろに少しの小塚あり、骨塚と云ふ。是れ狐を埋めたる地と云へり。一句、
狐火の光りも薄し雲の下

参考文献:「那須郡誌」 蓮見長、「那須郡誌」 那須郡教育会編、「日本九峰修行日記」野田泉光院