白河市の歴史民俗資料館に用事があって行ったのだが、駐車場に車を止めふと目の前の塔碑をみてギョッとした。
登町(二番町)丁字路(ルミエールがある場所)にあったという高湯山道標が民俗資料館の建物前に移設されていたのだ。この道標は道路拡張等の理由でちょっと離れた北登町矢場八幡社の生垣の中に長らく置かれていた。白河宿内の二番町丁字路を基点とする原街道の道標が「高湯山」の塔に刻まれているという、俺にとっては至福の一基だ(笑)。
生垣が邪魔で俺の調査ページはこんな画像になっている。心無い同好の士が生垣を勝手に剪定して道標を撮影してしまったという話を聞いたが、それも移動の理由だったり?
[正面]
(五角形の窪み)高湯山 右
那須道
[左]
左 江戸海道
[右]
天保九年歳戊在戌 四月
常盤惟貞建
何度も訴えているが、道標は元々の場所にあってナンボ。白河市としてもこんな離れた資料館前に置いておくより、宿内の奥州道中沿いに「江戸海道」と刻まれた道標が鎮座していたほうが、観光客へのアピールになるんじゃないの?
前から欲しかった「白河城下 町絵図調査報告書」(2003)を買ってしまった。