がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

寺子黒川の道標

前から気になっていた奥州道中沿いの黒川集落にやってきた。奥州道中を寺子宿を過ぎて余笹川を渡り、石田坂、へび沢を通り黒川へ向かう。今の道路は左にカーブしながら黒川の橋に向かうが、当時は真っ直ぐ集落に降りていくルートだった。黒川の簗場の平地と呼ばれる場所にある、「浮浪徒十四人之墓」の碑を観に寄ったのだ。

カーブ手前の広くなっている場所の路肩に車を止め、集落内にお邪魔する。

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さっそく近代の道標を発見。
84×17×12.5cm
[北]
左 芦野町ヲ徑テ白川ニ至
[西]
新田ヲ徑テ黒羽ニ至
[東]
昭和九年二月
   地元青年建立

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その隣には白雲山・秋葉山のダブルネームの碑が。寒井本郷の秋葉山塔道標を思い出す。下半分が白く風化して建立年等読めなかった。

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集落の端は黒川に降りる階段になっている。かつてはここから渡渉したということか。この正面の丘陵を迂回することなくつづら折で登っていくのが当時のルートだ。
特に調べずに来てしまったのはまずかった。河川敷から上がって近くの田んぼを見渡すもそれらしいものは見つけられない。たまたま洗濯物を取り込んでいたおばさんに場所を尋ねると、「ああ首切り場」のことだね」と行き方を教えてくれた、のだが俺の理解力がなく、見当違いの方向に探しに行ってしまいみつからず。往復3キロ歩いて、しかも雨まで降ってきた。阿呆すぎ。

家に帰ってから「天狗党が往く」を見直して確認。また来ればいいさ。