がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

奥州荷物街道 大田原町内から滝へ

家族でお出かけして、車の中でツマたちが戻ってくるのを待っている間、いつも車載にしている「与一の里 おおたわら名木百一選」という冊子をパラパラみていたら・・。



富池にある「印南家墓地のコブシ(推定樹齢200年)」の解説部分に

この場所は、古街道「奥州荷物街道」沿道沿いにある。

 と書いてあるではないか。折込の地図を確認したら、富池温泉神社から滝に向かう途中ですよ。ライスラインからジューキ・富池温泉神社の間を通って滝で奥州道中に合流する道は、「カノ道」か?と疑う以前に「奥州荷物街道」だったのだ。すると、船山から先、大田原方面はどう繋がるのだろう?


とBBSに書いたら、まるみやさんより

以前不退寺の親戚筋に当たるおばあちゃんから「O家具センターの角から不退寺の西側を奥州街道が通っていた」と言う話を聞いた事が有ります。私の私見では有りますが、石林から真っ直ぐ南下するとO家具センター前に出ます。このみちが奥州荷物街道だとすると、滝(市野沢)~親園まで道跡を辿る事が出来るのですが???

というRESを頂いた。

大田原市史前編」によると、奥州荷物街道のルートは大田原町内を通って町島の水口館北方へ出る、とある。「水口館」というのは大田原氏の16世紀に住んでいた居城(館)で、「那須の戦国時代」掲載の地図によるとこの場所だ。



土地勘がある方はココから富池への道筋がおわかりだろう。県道53号から奥州道中沿いの「ニュー勝田屋」に出る道に入り、蛇尾川を渡って緩やかなS字を抜けた辺りで左折すれば、ちょうどライスラインの横関運輸あたりに出てくる。ライスラインを右折してチョット行けば富池の温泉神社に向かう道だ。この部分はかつては真っ直ぐな道だったはず。

大田原町内を通って町島の水口館に向かうルートは諸説あり、 「大田原市史前編」に出ているのは、
1)下町薬師堂前~東京電力大田原営業所南~光真寺前~稲荷堂前~龍体山の七曲り(~奥州道中に入り蛇尾川渡河~明宿の道標2で逸れて町島へ向かう)ルート
2)沼の袋から和久に出るルート
の二つである。1)はベイシア裏の通りから日本たばこ産業手前で右折する道だ。この通りはかつて大田原のメインストリートだったそうだ。2)の沼の袋というのは大田原高校から水元神社、日赤の一帯を云うらしく、ベイシア裏の通りをまっすぐ進むと大高の附近に出る。あるいは日赤のほうに出てしまうとか?和久とは町島字和久のことのようだが、どの辺なのかは不明。まるみやさんが立てた仮説の原街道~カノ道~富池も当然アリだね。