がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

カタナさし

小正月イブの1月14日。塩原のツイ友さんから

夕方ですが今日は子供達が刀さしに来ました この辺りの地域の厄払いの伝統行事です 

 というつぶやき。「 刀さし 」とは? はじめて聞いた。どんなことするんだろう?ぼうじぼ的な?

えいえいヤーと刀を写真のように合わせるんですよ 私も詳しくわからないのですが、刀もツバも大人と一緒に作ってるんです ぼうじぼは、また別に来ますよ

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塩原といえば源三窟。有綱伝説に関係した行事?あるいはラストサムライ戊辰の凌霜隊が思い浮かぶ。うちのほうはそんな行事ないんで、どんど焼きの前日にあるこのイベントに興味持って調べてみる。さてさて。


塩原図書館に行く。まずは「塩原町誌」を見るが民俗紹介は載ってない。県教「中塩原の民俗」って報告書にも未掲載。司書さんが公民館の方にも聞いてくれたんだけど云われについてはわからず。

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 収穫なく、なじみの日帰り温泉に寄った。ここは地元客の多いさくい客層の温泉。全く知らなくてもサウナとかで世間話をする。今回は思い切って「刀さし」についていろいろ聞いてみた。

蟇沼の方からの聞き取り 

単に「カタナ」と呼んでいた。小正月どんど焼きの前の日、「ノテボウ」というウルシの木に似た木を切ってきて刀を作る。

 白くなるまで削らず、青くなる程度に表皮を剥く感じで。刀の鍔も桐や松で作った。カタナは元々男の子だけで行う行事で、作ったカタナを持って集落の家々を回っておかしやおもちを貰う。

今は少子化で女の子も参加するが、昔は女の子は恥しくて嫌がったそう。集落の家々の女はカタナではなく小さなウスを作って迎えたとのこと。今この行事を行っているのは塩原・関谷・蟇沼・宇都野で金沢はやってないとのこと。

 

刀と臼、男と女の張形がカタナとウスにぼかされて刀だけ残ったのでは?もしや夜這いの予行演習を形式化した行事なのか?男の子の成人の儀式、それで成人式は小正月にやるのかな・・なんて。

小正月どんど焼き、サエの神、嫁たたき、嫁占い・・・。

最初の塩原のツイ友さんから情報

回覧でまわった刀さしの説明?は小正月に木の刀で行う鳥追いの行事で、刀で害鳥やその年の厄を追い払う、となっていました この辺だけなのかな…

鳥追いってのはどんど焼きも同じだよね。竹をはぜさせて害鳥を追い払う行事。

金沢出身のツイ友さんからの情報

こちらでは「刀きり」と呼んでた。その日の夜がどんどん焼きですね ツバの部分はオヤジに杉で作ってもらった記憶があります  ぼうじぼと並んでお祝いもらえるから楽しみな行事の一つでした 

カタナさしあるある 間違ってウルシで作ってカブれる~ とか盛り上がってたサウナの中で。おじさんがカタナの今のご祝儀相場、集落ぐるっとまわると八千円くらいになるっていってた。いいなあ、正月にお年玉、小正月にさらにボーナスか。

ぼうじぼ、刀きり、箒根神社神輿、おたけさんの梵天私の世代くらいは男のみでした 元々親戚からお年玉なんてもらえないから刀きりがお年玉でしたよ(笑)  

現在金沢は刀さしやってないと言ってたけどどうなんだろう?

廃校が決まっている金沢小学校の児童数は10名程度  どんどん焼きはやってますがぼうじぼもキツイ地域です 

 ・・なるほどな。少子化過疎化は長く続いた行事も途絶えさせる。

その後、ネットで答え合わせ。




#04 桑取谷、伝統の小正月行事 | 003 かくも美しき里山の年寄りたち 佐藤秀明 Hideaki Sato | 日本列島 知恵プロジェクト


お正月って…実際いつまで?あまり知られていない”小正月”とは - NAVER まとめ



鳥追いがトリゴヤに火をつけて無病息災を願うこの行事のクライマックスを指しているのでなく、前日夜の子供たちによる練り歩きのほうとは。
嫁占い=嫁たたきは新婚のお嫁さんに早く子どもができるようにとお嫁さんを追いたてる「成木責め」の人間版のような行事。刀作り=カタナさし=刀切りは「嫁占い」のための小道具づくり。塩原・箒根のカタナさしは子供たちが鳥追いの厄払いをするため「嫁占い」の小道具を持って集落の家々を回る行事だった。集落の人たちの代表で子供たちが新婚さんの子作りを急かす嫁つつきも嫁占いも子孫繁栄を願う儀式であるからあながち的外れではないのかもしれないけど。

ネットで調べた他地区の行事紹介では仕事始め初山入りで切ってくるノリデの木で刀を作るとある。 ノデボウ=ノリデの木は同じものか?西那須野旧村地区にもある民俗行事、小正月に食べる「小豆粥」のハラミ箸も「ノデンボウの木」でつくる とある。「成木責め」の解説でもこのノデボウは出てくるな。木をたたく棒がノデボウ。加工しやすいという特徴以外に特別な植物なんだろうか?

宇都宮方面のどんど焼き

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今年はまったく観に行けなかった。地元どんど焼き保存会の方からも声かけて頂いたのに。東遅沢、大山コミュ来年は観に行こう。

第64回 東武古書の市


勢いで出涸しとか書いちゃった。途中補充もやってるのでそんなことないからね。早めに行けばもっといい品にめぐりあえたんじゃないかって思っちゃう古書の市ファンあるあるでした。

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恒例の東武古本市行ってきた。家族と出掛けたので持ち時間は120分。全力でサーチ&ゲットである。

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正直猛烈に欲しくなるものは見つけられなかった。 古いタウン誌「うつのみや」数冊と「江戸東京風俗語事典」。落合書店でも新刊を。「那須の大字・町名辞典」。

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そういえば10月に北那須郷土史研究会解散のニュースが。これが最後の活動報告書となるのか。郷土史に興味を持つきっかけは先生たちの活動があったからこそです。いままでお疲れさまでした。




暮市2014初市2015日程

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今年も残すところ10日あまりとなりました。恒例なので暮市初市の日程をまとめておきます。ここのところ見慣れた街並みが急激に変わっていくのが目につきます。そんななかずっと変わらず続いてきた暮市初市。温かく着込んで出かけてみてください。

暮市2014日程

 「氏家暮市」12/23(火) 13:00-21:00 (交通規制は正午から)

 氏家中心市街地大通り 毎年24日開催だが今回も23日に

 「矢板暮市」12/26(金) 11:00-20:00  

 前新通り 毎年26日に開催

 

 

さくら市氏家花市」 1/7(水)13:00-21:00  

氏家中心市街地大通り  毎年7日に開催

「花市(西那須野地区)」 1/11(日)10:00-21:00 

  JR西那須野駅西口桜通り  毎年11日に開催

「花市(大田原地区)」 1/12(月) 12:00-20:00  

大田原市役所通り 毎年12日に開催

「花市(矢板市)」 1/13(火)11:00-20:00 

 前新通り 毎年13日に開催

「花市(佐久山地区)」 1/14(水) 10:00-18:00  

佐久山小学校通り 毎年14日に開催

黒田原花市」 1/17(土)10:00-18:00  

那須町役場前通り 毎年第三土曜日に開催

「黒磯初市(花市)」 1/24(土) 10:00-20:00  

黒磯駅前通り(線路と平行の通り) 毎年第四土曜日に開催

「花市(黒羽地区)」 1/25(日) 9:00-18:00  

黒羽向町旧駅前通り  毎年第四日曜日に開催

 

 

1966年の映画館広告から

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1966年12月下野新聞掲載の宇都宮カブキザ広告 

当時の栃木県内の日活系映画館がわかる。

足利日活 佐野日活電気館 栃木日活文化 鹿沼東宝 日光劇場 大田原太陽劇場 小山銀星 真岡映劇 西那須野太陽劇場 今市千歳座 矢板昭和館 烏山平和館 足尾キネマ 雀宮映劇 氏家新生館 黒羽東毛座

大田原の太陽劇場はもともとは上栄館といった。映画館からサウナ太陽になり現在は更地になっている。黒羽東毛座ってどこにあったんだろう?東野黒羽駅前通りかな? 

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同じく1966年12月下野新聞の宇都宮ヒカリ座/ミヤマス座の翌年正月映画の広告

こちらには県内東宝系の映画館が。 足利東宝アサヒ座 日光劇場 今市千歳座 鹿沼セントラル 小山銀星座 栃木松竹館 西那須野劇場 雀宮映劇 足尾キネマ 大田原セントラル 矢板昭和館 真岡東宝 烏山アサヒ座

1960年代当時のヒカリ座広告は新東宝とかのポルノの印象があるけど、一般の映画もかかるのだな。地方の二番館は一館しかない場合は系列関係なく配給するのだ。

宇田島の供養塔道標

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室野井の馬頭観音をみてから宇田島へ。那珂川左岸の酪農家が何軒か連なるエリアだ。道路の感じは圃場整備されてしまっていて旧道の雰囲気はない。

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集落を過ぎたあたりに六手の金剛青面の庚申塔があったが目的の道標が見つからない。もう一度引き返すと集落の一軒目の脇にお堂をみつけた。お堂の周辺にあるのか?とりあえず車を降りて近所のお宅に話を聞きに行く。

軒先で家長と思われるおじいさんが日向ぼっこをしていた。ダメ元で話しかける。1オクターブ高い声で、きわめてほがらかに。
趣味で石仏を調べてましてぇ このへんに江戸時代の道標があると聞きましてはるばる伺った次第なんですがぁ ・・我ながらあやしい訪問者。

お呆けになられているかと思われた老人は、きわめて明瞭に家の裏手に昔の道があり追分に二十三夜塔と左 山道 右 横沢の道しるべがあることを教えてくれた。家の中にいたおばあちゃんも出てきて、どうしたのおじいさん、いや実はこれこれ、まあ!わざわざこんなところまで・・みたいな至福の歓迎ムード。ああ石仏巡り最高!


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裏手を流れる沢を渡るとすぐに二叉路。そのたもとにいくつかの石仏がまとまっている。立派な二十三夜塔、そしてその前に探していた道標があった。

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宇田島の供養塔道標  緯度: 37.04692 経度: 139.97483
角柱 宝暦14年(1764)48×21×15㎝
[正面]
 宝暦十四申天
蓮乗童子
 □月十八日
[右]
右ハよこさわ
[左]
左やまみち

月の上は剥離していて「六月」にもみえるが宝暦は13年までで翌年6/2に改元しているので18日はない。


「右ハよこさわ」方面を進むと室野井の馬頭観世音道標の「左 板室」の道に出て、そこから北東に横沢方面へ向かった。その道を基にしたと思われる道路が現在も使われている(グリーンヒル柳沢分譲地の道)。

 

室野井の馬頭観世音道標 - がりつうしん

 

 

室野井の馬頭観世音道標



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室野井の馬頭観世音道標 37.044259, 139.985274 
自然石 文字塔 安永7年(1778)170×45×40㎝

安永七玄[黒戈]星 右 奈す
   閹茂
梵字(カン)馬頭觀世音

  十一月吉祥日 左 板室

   
室野井道二叉路の土手の上に立つ馬頭観音。その他に大小の馬頭観音が祀られている。震災以降この場所に上がった者はいないらしく、藪が茂り石仏は転がったままだった。
年号の玄[黒戈](げんよく)は「壬」、閹茂(えんも)は「戌」の干支異称だが安永7年は戊戌のはずなんだけど。
「右 奈す」方面は横沢を通り南が丘牧場の脇の信号の十字路に出てくる。「左 板室」は二期倶楽部のあたりを通って那須ハイに抜ける道だが、板室本村に向かう道だったのか。