栃木市の秋まつりに行ってきた。
子供らと行ったので、本番前の街並をぶらぶらしただけだったのだが、それなりに雰囲気は楽しめた。メインは屋台の食べ物と街歩き。
例幣使街道の宿駅として、また巴波川舟運の河岸があり物流の集散地として栄えた栃木宿には、近隣の領主の蔵屋敷が多く造られた。元禄年間頃より大坂・近江・伊勢・越後・会津などから行商人の移住が盛んになり、商業が活気を帯びる。
栃木町は火事が多かったらしく、幕末には四回も大火があった。明治に入りその教訓から新築、修繕の際には杉皮・藁・葦屋根を禁止する県令通達が出され、以降瓦屋根、土蔵造りの建物が増え「蔵の街」といわれる街並が形成されたのだそうだ。
栃木市は、旧日光例幣使街道、巴波川周辺を「栃木市歴史的町並み景観形成地区」に指定し、歴史的な町並みづくりを行っている。戦後一度近代的に改装した店構えを、以前の風情ある外観に戻す改修(修景)を補助金を出して行っているのだ。やけに新しい外観の蔵がみられるのはそのせい。中の支柱などは当時のものなのでうそっこなわけではない。
五十畑荒物店 旧佐山家(糸綿商)見世蔵 明治中期
古久磯提灯店見世蔵 弘化2年上棟
とちぎ蔵の街観光館 旧八百金(麻苧問屋) 田村家住宅 明治37年上棟
旧八百金土蔵
丸三家具店 明治後期 ・毛塚紙店 明治41年上棟
阿部呉服店
本澤商店
雅秀店舗 明治時代後期
塚田歴史伝説館 旧塚田家土蔵
粋な黒塀が続く巴波川沿い。塚田家は木材回漕問屋だったそうだが、栃木河岸には舟積問屋が安永年間で10軒もあったという。会津西街道~例幣使街道を通って運ばれてきた廻り米や木材、ローソク、漆器、酒、近隣の麻、木綿、炭、油などを舟運で江戸へ送り(江戸まで40里)、江戸方面から送られてきた塩、塩合物、砂糖、鮮魚類、糖、干鰯などが陸揚げされ、鹿沼、会津方面に運ばれた。
栃木は見世蔵だけではない。明治・大正・昭和初期の近代建築も多く残っており街並に溶け込んでいる。
ALWAYSカマヤ 旧足利銀行栃木支店 昭和9年建設
ギャラリーみうら 旧関根家洋館 大正11年建設
今回は例幣使街道沿いだけだったが、街中のあちこちに残る風情のある建築物をまたゆっくり散策に来たい。