関根の西国秩父供養塔道標
未採寸
[正面]
奉
西國秩父□□□□□養塔
納
[左]
明治二十二年五月七日
○○久八 六十五才
立之
[台石]
右ハ 三嶋
左ハ大田原
関根のたつ道近くのお宅の入口にある塔碑。以前すぐ近くの関根青年道標を観に来たときにちらとみたはずだが、今回まじまじと見てみたら台石が道標になっているではないか。
関根青年の建立は昭和3年、こちらは明治22年の建立だ。昭和3年の道標では「右ハ槻沢高柳ヲ経テ西那須野ニ至」とあり、西那須野駅を中心とした市街への案内をしているのに対し、明治22年の道標では「三嶋」を挙げているのが興味深い。
三島通庸の肇耕社(ちょうこうしゃ、のちの三島農場)が三島地区に農場を開いたのが明治13年。塩原新道・新陸羽街道の開通が明治17年、那須駅(のちの西那須野駅)の開業が明治19年、明治22年に西那須野村・狩野村が発足する。まだまだ駅周辺の繁華街は未成熟で、勢いのある新興地区の「三島村」が注目されていたことがうかがい知れる。
そういえばハクセキさん、六十六部回ってるんでしたっけ?四国遍路より先に坂東西国秩父を旅してみたいなあ。