これらの習俗は明治政府以降、国民道徳向上を目的に教育勅語などの政策により弾圧され、淫風陋習(いんぷうろうしゅう)として排斥された。本格的な近代化により、諸外国に対して恥ずかしくないよう、庶民の性的なおおらかさを改めたかったのだ。日本人は神代の昔から一夫一婦制と処女・童貞を崇拝する純潔・清純な民族であったかのような思想統制がなされたのだが、実際には村落共同体の思考感覚は変らず、それらの習俗はしばらく続けられていた。
異端の民俗学者、赤松啓介は、自らの経験とフィールドワークで培ったムラとマチの性習俗を記録した。この「夜這いの民俗学」なんて、語り口調で論文なんてものじゃなく、内容は爺さんのエロ話なのだが。あちこち話が飛ぶし、前に書いてたことの繰り返しや思い出したことをポッと付け加えたり。盛ってるよね?と疑いたくなる部分も多々あるが、独特の「俺が経験してんだから!」と言う強引な説得力でグイグイと迫ってきて圧巻だ。 現代の貞操観念の欠如とか性の低年齢化とかを憂う自体が、何を今さらな話だったことに驚く。
市町村史の民俗編などみても、そんな内容に関してはけして触れていない。旧村の古老の昔語りで、祭の夜に庄屋の家に今年一番の娘が召し上げられる、というのがあったぐらいか。
盆踊りに関しては、その後の乱交はつきものと言うことで、明治初期の伝統的習俗の刷新・廃止の際に法的な禁止措置がとられた。
市街村落之別ナク聿少ノ輩盆踊ト称シ奇異之姿容ヲ成男女混滑撃鼓踊躍夜中路頭ニ致徘徊候者有之哉ニ相聞如何之事ニ候以来右体之醜習相脱候様可加説論者也
(栃木県布達 明治六年八月)
この禁止は徹底に欠き、民衆も取締の目を避け小規模な盆踊りで楽しむ者もあり、また取り締まる側も見て見ぬふりの部分もあったようだ。その後盆踊りは解禁の方向で検討され、明治44年には公式な娯楽として認められるようになった。祭の後の無礼講は、まだまだあったんじゃないか。それしか娯楽がないんだもん。