がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

「日本九峰修行日記」泉光院野田成亮

以前、宮本常一が本の中で、泉光院という山伏が大田原の金丸に滞在した時のことを語っているのを読んだことがあった。たまたま子供の付き添いで図書館に行ったとき、その本を偶然見つけ泉光院の紀行文の詳細が知りたくなった。蔵書検索で調べていたら、解説本の石川英輔「泉光院江戸旅日記」を黒磯図書館に発見した。しかし、原文の収録されている三一書房の「日本庶民生活資料集成 第二巻」は県図書館でも見あたらなかった。

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「泉光院江戸旅日記」石川英輔より

「日本九峰修行日記」とは、泉光院野田成亮という老修験者が旅した6年2ヶ月の回国修行の記録だ。托鉢をしながらの無銭旅行でその移動距離は2万キロ以上。文化・文政の頃の庶民の生活を知る上で貴重な資料とされている。

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古本屋で購入「日本庶民生活資料集成 第二巻
三巻もいつか・・。

泉光院は日向国佐土原の安宮寺という修験宗の住職で、最高位の山伏、大先達だった。かなり大きな寺の住職で家柄も良く、武士としての教養もあった。本業の加持、祈祷や周易(占い)だけでなく、請われれば武術、四書五経、和歌漢詩の教授もする知識人だ。出発時満56歳で、当時にとっては立派な老人であったが、山伏として峰入、奥駈の行を数多くこなし、旅慣れており強靱な体力をそなえた人だからこそ、こんな長旅に耐えられたのだ。英彦山羽黒山湯殿山、富士山、金剛山、熊野山、大峰山箕面山石鎚山の九峰に登ることを目的とした旅だったが、托鉢での移動の記録がほとんどだ。情緒的記述や主観は避け、巡った村の地名、参詣した寺社、宿泊した村名と人の名、喜捨を受けた物品や数などを淡々とメモする内容だ。中には見聞きした奇談なども記述され興味深い。

銭や食物の喜捨を受けながらの托鉢の旅は、賑やかな街道筋のほうが裕福で施行(せぎょう)も多いような気がするが、実際はそうではなく、農山村の小さな集落のほうが僧はありがたがられたという。当時山村においては弔いも病気も占いも相談事も僧や修験だった。実際に泉光院の辿ったルートは表通りを避け、村落を通る裏道・間道ばかりだ。そんな道中、泉光院は那須野を訪れているのだが。

泉光院の金丸村での様子についてはまた。

 

garitune.hatenablog.jp

 

大江戸泉光院旅日記 (講談社文庫)

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日本人を考える

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  • 作者:宮本 常一
  • 発売日: 2006/03/16
  • メディア: 単行本