地図に載ってない「坂」の名前を収集しようと、最近いろいろと調べている。 大田原春雄氏の名著「那須野の地名」をパラパラと見ていたら、平沢の地名に「湯坂下」という場所があり、その説明文に興味を持った。
沢観音寺から箒川筋に沿った急坂の崖にあり、かつては冷泉に近い温度の温泉が湧き出していた
澤村城の要害
山田より以北、金和崎岩から東土屋、澤村城址跡、将軍塚の西南にかけて、急峻な崖が続いている。かつてはその崖が途切れる部分を選んで箒川の渡渉点が存在した。会津中街道(部分名は山田街道)は山田~石上間、日光北街道は薄葉~沢間、原街道は平沢~将軍塚のある入久保間といったように。
丸山坂(日光北街道)
日光北街道と原街道の渡渉点の間に、箒川から矢板側の段丘への上がり口がもう一つ存在したことが興味深い。また湯坂は、その坂下にもう一つの渡渉点があったことを示唆するものなのだろうか?
将軍塚脇の鷺坂(原街道)
まずは、説明文に登場する沢観音寺を訪れてみることにする。
手っ取り早く沢観音寺のご住職に聞いてみた。湯坂の名前はご存じではなかったが、20年程前に台風があり崖崩れが起こって坂道は消失したとのこと。具体的な場所については言及はなかった。
沢観音寺の正面階段下の右手から裏山に上がってみる。スギ植林の作業道にも思えるその道は既に澤村城の遺構。かつての掘割を通って箒川沿いの断崖に行ってみる。
全ての堀切の先を確認したが、とても降りられるような状況じゃない!
沢観音寺の隣、JAを挟んで沢の湯泉神社がある。湯坂に「冷泉に近い温度の温泉が湧き出していた 」こととの何らかの関連があるのだろうか?湯泉神社付近に出てくる坂道なので「湯坂」で、湧泉に関してはあくまで説話、というセンもある。結局沢観音寺・湯泉神社の裏山にはそれらしい降り口はみつからなかった。
帰り足になって、やっと気付いたのだが、字湯坂下は平沢の小字なんだった。つまり、湯坂が降りてくる箒川の南岸は平沢なのだ。地図を確認してみよう。
ALPS 地図の色分けが一番わかりやすかった。グリーンが薄葉、ピンクが平沢で下の黄色が豊田だ。箒川の南岸に平沢がはみ出している。推測であるが、右が字鷺坂下、左が字湯坂下、だろう。
近いうちリベンジ。
那須野のむかしウェイポイント
那須野近辺の坂の名前をぼちぼち登録していってます。