がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

南方鰻坂

テンネンブツを確認後、自分なりに木佐美側に抜けてみてから、いろいろと情報を頂いたMさんに挨拶に行ったところ、Mさんが南方鰻坂を案内してくれることになった。今までの記事はあくまで俺の憶測も含めたものであったので、正式なルートとして上げておくことにする。

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鰻坂への道は、木佐美南方線の上小草橋袂から左に逸れていく。かつてこの場所に高さ1m程の石柱の道標が建っていたという。しばらく山際に立てかけてあったが、道路工事の際にどこかへ行ってしまったとのこと。

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浅ヶ沢沿いをいく道跡。林の中は藪で間伐材が転がっている箇所もあり、道跡は途切れ途切れに残っている。

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小さな沢を渡り、広めの作業道に入る。作業道は途中から高度を上げていくが、旧道はそのまま沢沿いを進む。かつては沢沿いに田畑が作られていて、溜池があったことだろう。それを鰻池とよんでいたのだろうか。伝説では大ウナギが山上の池に水を飲みに来て、そののたうった跡が鰻坂であるという。

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ところどころ崩落している部分がある。Mさんは70歳だが、現在も現役で狩猟の勢子(セコ・オイッコ 獲物を追い出す役)をされていて、八溝の山に関しては抜群に詳しい方だ。

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谷のどん詰まり手前でつづら折で尾根へ上がっていく。またこのまままっすぐ正面を上がっていく道もあったようだ。

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作業道まで上がったところに、はっきりとしたつづら折の道跡が残っている。

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尾根はこの先で分断されている。H12年に施工された南富士山林道の終点となっている。東京電力の送電線鉄塔の巡視路として作られた道で、計画ではこの先も舗装化されるはずであったが、切り通しより先は整備されておらず廃道化が進んでいる。

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尾根上の道を行く。

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しばらく行くと左側から合流する道がある。先ほどの尾根下からまっすぐ登る道がここで本道に合流するのだ。

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けっこうはっきりとした道で、現役の作業道のようだ。

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崖沿いを通る。ここから馬が転落したことが何度かあったらしく「馬転げ場(ウマッコロゲバ)」と呼ばれているそうだ。今は崖下に南富士山林道が走っている。

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鰻坂の道は、昭和の初期ぐらいまでは往来があったそうだ。南方では農作業に使用する馬に子供が生まれると、この道を通って黒羽向町の二歳馬のせり駒市に連れて行ったという。また新潟や会津地方の茅葺職人はこの道を往来し、久慈方面まで遠征したとのこと。Mさんも自転車を押してこの道を通り、下り坂に差し掛かると自転車に跨ったそうだ。

尾根脇の道は次第に尾根から離れていく。しばらく行くと鰻坂の木佐美方面への道が左に分岐する。

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最初に通った時、気になってビニール紐で印を付けていた場所だった。荷駄の往来で道跡は窪みとてもわかりやすいが、かなりの藪で覆われている。

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窪んだ道跡部分には杉は植えられていない。しかし結構な藪だ。5、6月以降の散策はちょっとつらそうだ。

「ぼうつくぼ」の由来(「ふるさと雑記」より 川上集落の語り継ぎ)

むかし、水戸の方から天狗がやってくるという噂が、川上部落に流れこんできた。この天狗というのは、落ち武者の集団であろうと推測しているが、こころよく迎えるなら、人々に危害を与えないが、粗まつにすると大変なことになるとのことだった。川上部落の人たちは、ご飯を炊き、それを持って山へ逃げた。天狗は、誰もいない部落で、飲んだりくったり夜のふけるのも忘れてさわいでいた。山へ逃げた村人は、夜になるとこっそり我が家へ来て、戸のすき間から天狗の様子を眺めていたとか。翌日、そうざぶろうという者に道案内をさせたが、途中で殺されてしまった。今の西の入りの奥になるが、そのそうざぶろうが殺され、埋められた場所をぼうつくぼと呼んでいる。また案内して殺された人はお坊さんだったとも伝えられている。

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何本か作業道とクロスして、木佐美側から延びている尾根に乗る。尾根南側は広葉樹林になっている。落葉の敷き詰められた歩きやすい里山の道らしくなってきた。

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木佐美側最奥の建築現場を右に巻いて、小さな沢沿いを降りてくる。

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那須環境研究所」と書かれた建物の脇に出てきた。ロープの張ってある山道は古道ではないとのこと。

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この先舗装が始まる富士山線終点まで、砂利敷きの坂道になっているが、その左右の崖をみると旧道のつづら折の名残が今も残ってることに気付くだろう。

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このつづら折がウナギがのたうつ姿を想像させ、「鰻坂」と呼んだようだ。

 

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