がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

三斗小屋宿の金灯籠




井口慶乗院の 「菊家紋入供養塔」の記事が上がったところで、やはりこの話題を振らないわけにはいかないだろう。三斗小屋宿の金灯籠のことだ。遅沢村百人講中により白湯山へ献納されたこの金灯籠の笠には、十六菊紋が入っているのだ。



上の地図のように、井口慶乗院と遅沢村は目と鼻の先。はたしてこの一致に何かの関連はあるのか?
単純に、白湯山が山岳信仰-修行の場から、広く一般に信仰される対象、大明神・大権現の存在となり、明治以前は社寺のシンボルデザインとして一般に使われていた菊紋をワンポイントで入れてみた、という感じなのかな。

この三斗小屋宿には会津藩兵が駐留しており、当然この灯籠を目にしていたはずだ。大田原城への進軍途中のせわしいときに、墓地で見かけた菊家紋入供養塔をかち割って埋めていった彼らだ。この菊紋入り金燈籠だって、イラッっとしてなぎ倒していてもおかしくないだろう。金灯籠といえば益子孝治先生。なにかヒントはないかな。