復路第三区間に参加。往路田代通りの際に、この辺りが一番ドラマチックであったので、ぜひ復路でもう一度この地を訪れたかったのだ。
出発地点は「牛乳屋食堂」で有名な芦ノ牧温泉駅。なぜ芦ノ牧の温泉街から離れたここ香塩(「かしゅう」と読む)に芦ノ牧温泉駅があるのか不明。国鉄時代は上三寄駅だったようだ。きっと大人の事情があるのだろう。
大豆田で旧道に入り、R118と立体交差して小塩集落へ向かう。途中、闇川橋を渡り下小塩(しもこしゅう)の集落に入る。引下の一里塚を通過し、舟子峠に向かう入口となる民家の前に来る。
おおーっ!再びここに帰ってきたっ!「座頭転ばし(つづら折の坂の名称)」が俺達を待っているっ。ここの民家のおばちゃんはいつ来てもフレンドリー。年間どれだけの旧道好きがここを訪れているのだろう。大内宿の何千万分の1くらい?
会津鉄道の線路を渡りさらに山の中へ。うっそうとした山の中で道跡を探し、ぐんぐん登っていく。今回は崩落してしまっている箇所を避けたショートカットコース。しばらく行くとかつての三島新道、現在の林道舟子線に出る。
舟子峠の切り通し部分
三島通庸が三方道路を開いた時、開削の記録として風景画を洋画家高橋由一に、写真撮影を菊池新学に委嘱した。その時の舟子峠切り通しの写真がこれ。
福島県立図書館デジタルライブラリーより転載
峠から降りてきて、舟子の集落に出てくる。舟子はもともと上舟子と下舟子の集落があったが、上舟子がダム建設のため移転することとなった。ダム施設の東公園・管理支所附近が上舟子の集落があった場所であろうか。旧道はダム管理支所附近から段丘下に下りていくのだろうが、現在は集落跡よりさらに20m上がった道が付け替えられている。
その道沿い、現在の桑原集落手前にある記念碑。
桑原集落を左に見て、対岸の小出集落側に渡るため大川湖面橋に向かう。
橋の上から旧桑原集落があった附近を望む。
旧道は旧桑原集落を抜け、段丘を登っていく。その途中「蟹坂」に三島新道時代に開削された隧道があった。
福島県立図書館デジタルライブラリーより転載
下は会津中街道倶楽部の佐藤さん所蔵の大戸ダム建設工事の際に作成された地形図。段丘上が現在の桑原集落、段丘下が旧桑原集落の場所だ。ピンクにラインを引いたのが現在の大川湖面橋が出来た後の道路で、赤で引いてあるのが旧道である。小出集落からどのように段丘を下りて、大川を渡っていたかがわかる。
当時の25000分の1地図でもここまで明確に表現されていないでしょう。お宝ですな。
道がつづら折れになっていた半島部を橋の上から。うーんどういうふうに道が通っていたのかな。
「阿賀野川水系大川ダム」(北陸地方建設局 昭63)という写真集より。この坂を自動車も降りていたというのは信じがたい。
この尾根沿いに道が・・。いつか降りてみましょうね。(おいおい)
橋を渡ったところにある旧R121の道路。狭っ。現在のR121下郷トンネルは1981年11月竣工とのことなので、それまではこっちが本道だった。三島新道も最初は大川を渡り桑原・舟子を通るルートだったが、崖崩れ、落石の多い大川東側のルートを諦め、西側のこの道を開削し直したという。ゲートがしてあってそれ以上は進めないが、そのへんから分かれて「阿久戸坂」と呼ばれた段丘下に下りる道があった。今は河岸ブロックで塞がれてその道を辿ることはできない。
宿場の名残を残す小出集落を通りR121に入る。もちろん歩道などないので、すぐ脇を車がビュンビュン。もう体を横にして歩いたほうがいいくらいの接近振り。ある意味、「小野のへつり」を通った旅人達の心境を味わった感じか。旧道は部分的に国道よりも50m下(旧鉄道跡のこと?)を通っていたらしい。
今回は湯の上駅で終了。