がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

白湯山・高湯山信仰

会津中街道を調べはじめてから、白湯山信仰に興味を持つようになった。三斗小屋宿に整然と並ぶ灯篭や大日如来、コリ場や倒壊した鳥居を見たら、いったいこれは何なのか?って絶対興味を持つはず。調べていくと那須岳山岳信仰は、同じ霊場で三斗小屋宿の三斗小屋表口からの参拝の「白湯山」と、那須湯元温泉神社の湯元口からの参拝の「高湯山」の二つの呼び名があることを知った。会津中街道・原街道を歩いて調べるうち、ますます白湯山への興味は募り、色々と文献を探していると、「那須岳白湯山・高湯山信仰」研究のエキスパートが存在することがわかった。廣本祥己(ひろもと・しょうこ)さんだ。書籍ではなく専門誌掲載の論文なので、所蔵図書館にコピーサービスを頼んで取り寄せてみた。

 

廣本祥己(祥子)氏の論文一覧

那須湯元温泉神社内の石造物より見た高湯山信仰」(2002)
未見

下野国那須岳白湯山信仰に関する近世の総論について」(2003)
「大野家文書」と「白湯山信仰解読史料(室井三代吉家文書)」にみられる白湯山信仰を巡る支配権の争論と、寺院間の訴訟の様相を解説。会津中街道の開通で参詣が増えてきた三斗小屋表口「白湯山」の利権をめぐる争いと、同じ霊場である湯元口「高湯山」の利権をも手中に収めようとする「白湯山」別当

「白湯山信仰解読史料」は持っていて、細かい解説もなかったので字面だけを追うに留まっていた。おぼろげだった内容がこの論文でよく理解できた。


那須岳白湯山・高湯山信仰の分布について」(2004)
未見


那須岳における近代の参詣習俗について」(2005)
昭和初期の那須岳(白湯山・高湯山)への参詣の詳細を聞き取り調査し、参詣に関する習俗の考察を論じる。那須湯元温泉神社殺生石の塔碑、三斗小屋宿の塔碑の建立者所在地、白湯山神社寄附帳の寄付者所在地、市町村史、民俗誌への参詣事例の記載などから、三斗小屋表口白湯山では下郷町、湯元口高湯山では那須町大沢集落と福島県西郷村にエリアを絞って聞き取り調査を行う。

栃木県側の市町村史には参詣事例の記載がなく、聞き取りができる古老も那須町以外は存在しなかった、と書かれている。白湯山の石碑が点在する黒磯や塩原でさえ郷土史に記述がないのはどういうことなのか。郷土史で紹介される「民俗」ってのは、その地域に今も残るちょっと昔の習慣であって、栃木県側においては「近代」には既に参拝風習は廃れてしまったということなのだろうか。あ、「那須山麓の民俗」にちょろっと載ってたはず。


「高湯山信仰」(2005)
湯元口「高湯山」の縁起を「創垂可継」などから読み解き、「三斗小屋温泉誌」掲載の高湯山行人道の項の著者の大高登氏、高木光昭氏の案内により踏破、塔碑や拝所を解説。また各地の郷土史掲載の高湯山参詣の記事を紹介し、大沢集落における参詣の様子の聞き取りを行う。


10月の1日に那須文化センターで廣本祥己先生の講演があると、白石さんに伺った。せっかくの機会なので参加申し込みをした。たのしみー。