がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

旧道・古道

尾頭峠上三依側 文献より

熊野堂上の尾根突端の石仏群の存在から、江戸期の尾頭道のルートとして、尾頭沢の左岸を通る道があったのではないか、という推論で押し進めてきた俺であるが、あの岩場続きの難所を目の当たりにすれば、次第に主張も勢いがなくなるというもの。明治尾頭新道…

尾頭峠上三依側の探索の4

[2009.12.10修正]上三依側から再探索、まずは気になった江戸期の遺構の残る尾根に向かう。 上三依の一里塚、石仏群を過ぎ、尾頭沢を渡る前に左手に見える尾根をつづら折りで上がっていく。 つづら折入口から尾根を見上げるの図。 そこにはかつて不動明王の…

尾頭峠上三依側の探索の2

明治尾頭新道探索後に文献を探しに行ったら「尾頭トンネル工事誌」という本があった。尾頭峠をどうぶん抜くか、いくつかのルート案まで紹介されていてとても興味深い本なのだが、その中の「尾頭トンネル工区平面図」という地図に、尾頭峠の旧道、明治尾頭新…

尾頭峠上三依側の探索の1

この記事をUPした頃は、江戸期尾頭道ルートと明治の尾頭新道ルートの関係を理解しておらず、本文は修正しましたが、コメント欄はそのままにしてありますのでご了承ください。[2009.12.01修正] 尾頭峠に向かう前に小滝の明治尾頭新道入口をちょっと下見。小滝…

再び尾頭峠

[2009.12.01修正] 尾頭峠に国道400号線 尾頭トンネルが開通して既に20年以上経つ。今ではトンネルを抜けて数分で通過する尾頭峠であるが、平成になるまで急峻な地形で道幅も狭く交通の難所として知られていた。尾頭峠越えの道は、鎌倉時代の安貞元年(1227)…

南方鰻坂

テンネンブツを確認後、自分なりに木佐美側に抜けてみてから、いろいろと情報を頂いたMさんに挨拶に行ったところ、Mさんが南方鰻坂を案内してくれることになった。今までの記事はあくまで俺の憶測も含めたものであったので、正式なルートとして上げておくこ…

テンネンブツ

鰻峠再訪。 尾根上の東電の巡視路沿いに進んだところに祠を発見。これこそ峠の安全を祈るために奉納された遺物?でも、ちょっとだけコースとは外れたピークにあるのだ。 ピークのコブの上に人工的に盛られた塚があり、上が窪みになっていて、その中央にこの…

鰻峠の探索

平治元年、武田耕雲斎率いる水戸天狗党の一千余名の一行は大子を出発し、左貫口、関ノ田和峠を越え、水戸藩領須賀川村から明神峠、雲巌寺村、大多羅村を通り八溝山の西麓を北上する。一行は川上村の川上と露久保で宿泊。翌日明け方早く、西の山越えの道、南…

木佐美南方トンネル

3/26の新聞で「木佐美南方トンネル」が通れるようになったことを知った。以前から木佐美南方線の開通を心待ちにしていた俺は早速行ってみたよ。ザックと地形図を持って・・。両郷から木佐実を抜け、富士山林道、いや、市道木佐美南方線に入る。前松葉川の橋…

会津中街道 阿久戸と那珂川渡河

板室本村宿を過ぎると県道266号線は右にカーブして板室温泉郷(塩沢集落)に向かう。旧道はそのまままっすぐ阿久戸の那珂川の河岸段丘に向かう道だ。この道と並行するように、舗装された作業道が走っている。蕎麦屋の「柏屋」前から入る道だ。板室本村集落の…

関道往来 追分より関山

追分明神(関東明神)より北に3kmほど行くと右手に関の森がある。 白河の関が蝦夷南下の防衛の要所として置かれた年代は、5世紀前半、遅くても大化の改新の頃と考えられている。しかし律令国家の衰退とともに関としての機能は失われ、その施設も放棄された。…

関道往来 伊王野より追分

関街道沿いの道標を見に行く。「関街道」という呼び名はあまり一般的ではないので説明しておくと、古道「東山道」を基にした白河の関(旗宿)を通る道で、平安時代末期、源義経が藤原秀衡を頼って平泉に向かう道なので別名「秀衡街道」(ひでひらかいどう)…

会津西街道 高原越えの探索2

会津西街道高原越えの後編。高原新田から藤原宿方面へ下るの巻。 旧宿場跡の元屋敷から宿西端の墓地跡を過ぎ、開拓地の端の柵から外に出る。柵沿いに数10m行くと「磁石石」がある。 高原新田住民が200年にわたり住み慣れたこの地を離れねばならない悔しさを…

会津中街道 板室から木綿畑を歩く1

定例の会津中街道歩き、今回は板室乙女の滝ドライブイン駐車場からスタート。トイレ裏の道跡を林の中に入っていくと、すぐに道の両脇に塚が現れる。板室(井戸沢)の一里塚だ。 東の塚は炭焼き窯に使ってしまったそうで、大きくえぐられている。窯の名残の石…

紅葉ウォーク 尾頭峠の3

塩原温泉ビジターセンター主催の「紅葉ウォーク1 尾頭峠」つづき。コースは、尾頭トンネル上三依側入口~東京電力鉄塔22号~尾頭峠の分岐~高原道~大塩沢峠~大塩沢林道(元湯林道)~元湯近くの林道分岐、というもの。先ほどの分岐の左側のほうは三依山に…

紅葉ウォーク 尾頭峠の2

塩原温泉ビジターセンター主催の「紅葉ウォーク1 尾頭峠」つづき。コースは、尾頭トンネル上三依側入口~東京電力鉄塔22号~尾頭峠の分岐~高原道~大塩沢峠~大塩沢林道(元湯林道)~元湯近くの林道分岐、というもの。 ケムリタケ(タヌキノチャブクロ)2…

紅葉ウォーク 尾頭峠の1

塩原温泉ビジターセンター主催の「紅葉ウォーク1 尾頭峠」に参加してきた。尾頭トンネル上三依側入口~東京電力鉄塔22号~尾頭峠の分岐~高原道~大塩沢峠~大塩沢林道(元湯林道)~元湯近くの林道分岐、というもの。行程9.6kmのコースだ。 ビジターセン…

会津中街道 湯川渡河点から乙女の滝を歩く

会津中街道の復路。前回は大峠まで来たので、今回は大峠から三斗小屋宿跡の予定であったが、三斗小屋宿から大峠の間の旧道はかなり荒れており、藪に覆われつつあるという。そもそも沢登りをする人々にとってはポピュラーなルートらしく、まったく忘れ去られ…

塩原八幡宮@中塩原

中塩原八幡町にある塩原八幡宮。現在はR400バイパスの青葉通りが全面開通してアクセスがよくなったが、ちょっと前までは日塩道路側からしか上がれなかったと思う。江戸期以前は、追沢より西側の平地は箒川が氾濫するため古町の本陣付近から斜めに上がってい…

会津中街道 野際新田宿から大峠を歩く

会津中街道を歩く会、野際新田宿から大峠の回。昨年秋の塩生から野際新田宿までの行程に参加できなかったので、今回はぜひとも参加したかった。3年前、往路で三斗小屋宿から大峠を歩く機会を逃していたせいもあり、大峠にはずっと執着があったのだ。 観音沼…

日光道中 宇都宮から中徳次郎を歩く

なためさん、はくせきさん、カタクリさん、やまぶきさんなど総勢7名で日光道中 宇都宮宿から中徳次郎宿を歩きました。なためさんは江戸日本橋から何回かに分けて歩いて、やっと宇都宮までたどり着きました。日光道中のクライマックス、日光杉並木に向かう道…

山王茶屋

福島県と栃木県境近くの山王峠の麓にあった「山王茶屋」は、平成2年に解体され、16年に奥会津博物館(旧 奥会津地方歴史民俗資料館)の敷地内に復元された。山王茶屋は会津西街道沿いに現存する唯一の本陣形式の建物だ。 山王茶屋は江戸初期の元和3年(161…

会津西街道 (下野街道)山王峠の探索

なためさんの会津西街道踏破の旅、山王峠越えに同行させてもらった。詳細はなためさんのブログ記事「会津西街道8」を参照のこと。 「長い出路をのぼると、高さ二五〇〇フィートの峠の頂上に出た。そこは三〇フィートも幅のない突き出た山の端で、山々や峡谷…

五十里宿

江戸期、現在の県境である山王峠からこっち、横川、中三依、五十里は下野国ではあるが、「南山御蔵入領」と呼ばれる陸奥会津藩の領地だった。「御蔵入」とは、この土地の年貢は幕府の領地なので、江戸浅草の幕府蔵に入れられる、という意味であろう。南山領…

会津西街道 高原越えの探索1

今回、なためさん、まるみやさんについて高原越えのルートを辿る機会に恵まれた。なためさんのレポートは「磨り減った山靴 会津西街道5」を参照のこと。今回は「片足沢橋」脇のスペースに一台、そして日塩道路の藤原出口のR121合流点の駐車場に一台車を置…

高原新田宿

日塩もみじラインの旧メイプルヒルスキーリゾート入口附近から北西に入っていく鶏頂開拓地区南端に、かつて会津西街道の高原新田宿があった。 高原新田村の起こりは承応から寛文にかけて(1652-72)6戸がこの地に移住したそうだが、湯元塩原村(現在の元湯…

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿

9月2日、なためさんと共に下野街道ウォーキングに参加してきた。下郷町あるもの探し実行委員会という処が主催。楢原宿から大内宿までの12.5kmを巡るツアーだ。下野街道(会津西街道)はいつかは辿らねばならないルートであるし、9/16に行われる会津中街道(…

会津中街道小出通り、上三寄から湯の上を歩く

復路第三区間に参加。往路田代通りの際に、この辺りが一番ドラマチックであったので、ぜひ復路でもう一度この地を訪れたかったのだ。 出発地点は「牛乳屋食堂」で有名な芦ノ牧温泉駅。なぜ芦ノ牧の温泉街から離れたここ香塩(「かしゅう」と読む)に芦ノ牧温…

日光北街道 船生~矢板をいく2

4/5の続き。芦場新田の軍茶利真言道標を観てから、ふたたびR461に戻る。左手に石材店があり、その裏手の今の道路より高い位置に細い道がある。これが旧道なのだろうか。 その脇の藪の中に青面金剛タイプの庚申塔(元文5年)が祀られていた。 「クリントン」の…

原街道と越線橋

R400バイパスのJR越線橋の工事が本格的に。原街道 槻沢通りの見通しが利かなくなってしまった。栄町と五軒町・南郷屋部分の道も拡張工事にはいる模様。4m幅の今のうちに写真を撮っておくべきか。