がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

旧跡・史跡

高尾塚@下塩原塩釜

塩釜温泉のホテル明賀屋駐車場に「高尾塚」の碑がある。文化13年(1816)11月に建立されたこの碑は、正面に「高尾塚」、他の3面には江戸の儒学者「山本北山」による撰文が刻まれている。この碑は、塩原出身の二代目高尾太夫の没後150年に、その身を哀れんだ…

万人風呂と遊園橋、遊園道

青葉通り沿いの小太郎ヶ淵入り口前から箒川の渓谷に下りていくつづら折の道がある。専売公社(JT)の塩原寮が途中にあるこの道が「遊園道」だ。 これは90年代の住宅地図に着色したもの。オレンジが青葉通り予定線、黄色が万人風呂に向かう道路として開削…

万人風呂 霞上館跡の2

当時塩原は、華族・皇族らセレブが別荘を構え、文士や芸術家、実業家がこぞって訪れるリゾート地であった。「万人風呂 霞上館」は大正の末にオープンした温泉施設で、箒川流域に点在する塩原七湯からは奥まった山あいにあったという。建物の前には小船を浮か…

万人風呂 霞上館跡の1

以前上げた記事で「辻潤が塩原に来たときのこと」というのがあるのだが、その中で間抜けな勘違いをしていることに気づいた。 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん ダダイスト辻潤が1935(昭和10)11月に塩…

離れ室城跡@塩原畑下

塩原の里ウォークからの切出しです。三依・横川・塩原を領地としていた塩原氏が衰退し、宇都宮氏の家臣の君島信濃守が塩原に侵入してくる。康歴2年(1380)、畑下の対岸富士山の峰部分に建てられた居城が通称「離れ室」である。 青葉通り弁天大橋からの眺め…

塩原の里ウォーク

塩原温泉ビジターセンター主催の「塩原の里ウォーク」に参加してきた。コースはビジターセンターから青葉通りを通って、源三窟、塩原八幡宮、塩原もの語り館、妙雲寺などを巡るもの。観光コースっぽいが、塩原の街中じっくり散策したことがなかったので、参…

パンチ石@上石上

上石上の温泉神社に行ってきた。 場所は石上山正覚院法善寺脇に出てくる石上道沿い。話に聞くパンチ石とはどんなものなのか。すぐみつかった(笑) コンクリで固定してあるし石仏なのだな。道祖神か?なにやらいわれがありそうな石だ。白河の石工が作った灯…

三斗小屋宿の金灯籠

井口慶乗院の 「菊家紋入供養塔」の記事が上がったところで、やはりこの話題を振らないわけにはいかないだろう。三斗小屋宿の金灯籠のことだ。遅沢村百人講中により白湯山へ献納されたこの金灯籠の笠には、十六菊紋が入っているのだ。 上の地図のように、井…

慶乗院の菊家紋入供養塔

湯王山 慶乗院 観音寺の菊家紋入供養塔を見てきた。昭和35年(1960)、寺境内付近の整地作業を行っていたところ、画像右側の笠付墓石が出てきた。高さは1.5mほど、正面上部に十六弁の菊花紋章があり、その下に「道滅禅定門」「妙齢禅定尼」と男女二人の戒名…

出釜湧水地@西遅沢

井口・遅沢・槻沢・関根のいわゆる旧村エリアは何度来ても新しい発見がある。今回、原街道槻沢ルート周辺を中心にチャリで徘徊したんだが、原街道については次回に譲るとして、今回初めて行った「出釜」を紹介したい。 何度も通ったことがあるはずの場所が、…

那須町民俗資料館に行ったのだが・・。

民俗資料館といえば、近代の農具や身の回りの道具の展示ばかりで、センスがないとゴチャッと古道具を寄せ集めただけの倉庫になりがちだ。だったらみちのく郷土民芸館に行った方がよっぽど楽しい時間が過ごせるっつの。御蔵入の里歴史民俗資料館の展示は凄か…

生まれ変わる長屋門@土屋

土屋のどんど焼き会場を偵察に行く途中、前から気になっていたイイ感じの長屋門が工事中になっているのに気がついた。車から降りて遠目から観察していると、ちょうど中からばあちゃんが出てきた。立派な長屋門を壊してしまうんですか?と訊ねると、隠居部屋…

五十里宿

江戸期、現在の県境である山王峠からこっち、横川、中三依、五十里は下野国ではあるが、「南山御蔵入領」と呼ばれる陸奥会津藩の領地だった。「御蔵入」とは、この土地の年貢は幕府の領地なので、江戸浅草の幕府蔵に入れられる、という意味であろう。南山領…

会津西街道 高原越えの探索1

今回、なためさん、まるみやさんについて高原越えのルートを辿る機会に恵まれた。なためさんのレポートは「磨り減った山靴 会津西街道5」を参照のこと。今回は「片足沢橋」脇のスペースに一台、そして日塩道路の藤原出口のR121合流点の駐車場に一台車を置…

高原新田宿

日塩もみじラインの旧メイプルヒルスキーリゾート入口附近から北西に入っていく鶏頂開拓地区南端に、かつて会津西街道の高原新田宿があった。 高原新田村の起こりは承応から寛文にかけて(1652-72)6戸がこの地に移住したそうだが、湯元塩原村(現在の元湯…

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿 の2

楢原集落の北端、R121から旧道に入る。楢原宿内からずっと、道の両側に八幡神社、雷神社の幟が立っていた。やがて街道は山道にさしかかる。 八幡神社の階段下に関所が。右に上がっていくと雷神社がある。野武士?というか山賊っぽいイデタチのオッサンが格好…

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿の3

小池・板倉集落を抜けて戸石川を渡り、倉谷・水抜宿へ。 倉谷と水抜はほとんど一つの集落のようだが、小さな小川が境界線になっている。かつてはこの地域の商業の中心地で、寛永~貞享年間には六斎市が立ち、主に米を売買したという。現在は山あいにひっそり…

バッケノママの一里塚

田島の繁華街を東の木戸でR121沿いに曲がらずにまっすぐ行き山裾を行く。大通りは昭和に入って何度か火災に遭い拡幅されているが、この辺り「横町」の道幅は当時のものなのだろうか。鉤の手の箇所もあり宿駅特有の佇まい。 県道に合流し右折、水無川を渡りし…

乙畑の一里塚

白石さん、なためさんの報告で知って復元された乙畑の一里塚(西塚)を見てきた。 会津中街道沿いの乙畑宿の集落を過ぎてちょっと行ったところにある一里塚である。この附近は太鼓塚と呼ばれているが、一里塚を太鼓塚と呼んでいたのか、それとも別に太鼓塚と…

会津若松から再出発

あー、どうも。小生、会津若松に来てます。鶴ヶ城本丸から中継です。 会津若松市内は、例年にない早い時期の開花となった。 まづは桜の木の下で野立てなど。風流ですなぁ。 松平正容侯もこんな風に桜の下でお茶を楽しんだのだろうか・・。しかし、戦後、鶴ヶ…

平成十九丁亥歳初詣

去年同様、鷲子山上神社と光丸山神社をハシゴ。 トリノコは毎年初詣の時期は一方通行になって、美和側から上がってくるんだが、頂上の神社に到着する前から路駐の車が路肩に停まっているのを横目に、「きっとタイミングよく駐車場は空いているはず」とショボ…

神橋@日光大権現二荒山神社

下の子の七五三参りで日光のニ荒山神社に行った。折りしも朝から雨で、行きの日光北街道(R461)は惨々降り。しかしニ荒山神社の境内に到着するとかなり小雨になってきた。子供達を車の中で晴れ着に着替えさせ、社務所に向かった。今日は大安で、神社で結婚式…

木の俣地蔵

行楽の秋ですね。ツマの母ちゃんとうちの娘と俺で、那須に紅葉を観に行ったよ。沼ッ原に行く予定だったのだが、寄り道して深山ダムに行く途中にある「木の俣地蔵」に行った。 木の俣地蔵は、伝説によると、前九年の役に阿部貞任がこの地に陣を置き、主本尊で…

別府の一里塚

福島県の塩川町に米沢街道の別府の一里塚がある。R121から分かれる旧米沢街道への分岐点には文久3年(1863)の道標があり、20mほど入ると、左右にこんもりとした緑に覆われた塚がある。かつては西塚の侵食が著しかったが現在は修復され素晴らしい景観をなし…

横林~高林間、不通。

今日、上横林~高林間の川原道を通ろうとしたら、ゲートで封鎖されていて、通過できなかった。先日の大雨で地上を流れたのか、道がえぐれて無くなっていた。 横林の追分道標を右に入り、蛇尾川を渡るルート、かつては会津中街道として往来が盛んだった通りだ…

立春に流す

家族で車で買い物に行った帰り際、子供たちが寝に入ってしまったのでちょっと車で流すことにした。上石上から大貫を通り関谷に出る道を通った。この道は今では「大貫街道」などと呼ばれているが、三島通庸が三島から塩原に引いた三方道路の塩原新道(現R400…

鷲子山か?光丸山か?

例年初詣は湯津上の光丸山神社に行っているが、今年はふと県境にある鷲子山神社に行ってみることにした。旧美和村と旧馬頭町の境に位置する鷲子山は、神社までの参道が細い山道で、正月は茨城県側が行きで栃木県側が帰りの一方通行だ。茨城側の参道沿いには…

消えた藤荷田村

那須野ヶ原公園の南口近くの分譲地に、六角地蔵と如意輪観世音がある。この場所は旧谷中官有地といわれる場所で、足尾銅山の鉱毒汚染で明治37年11月に集団移住してきた人々が入植した土地だ。如意輪観世音には文久2年10月と刻まれているので、それ以前の建立…