がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

大山地区コミュニティ どんどん焼き2019

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今年の大山地区コミュニティのどんどん焼きは3連休の前日の1月11日金曜日に行われた。朝から風が強く、今日花市・初市の露店はかなりキツそうだな、と思っていた。



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昼間用事の帰りに会場の大山公民館を覗いたら、ドカシートで保護された大きなトリゴヤが鎮座していた。スタッフの方が、このままの風の強さだったら点火は中止になるけど延期には出来ない、なんてよくわからないことを言っていた。どんど焼きやるど点火はしないって?

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大山地区コミュニティのどんどん焼きは(大山地区でのどんど焼きの呼び名は「どんどん焼き」である)大山小学校の生徒と親御さんが全員参加するほぼ学校行事であり、トリゴヤ作り、テント設営、炊き出し、駐車場誘導など地域ボランティア、PTAの協力で大々的に行われているので、日を改めて行うことはむずかしい。

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午後6時開式。代表挨拶やどんどん焼きの歴史、言われ(大山地区での実施状況について改めて確認したいところ)などが終わり神事へ。

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乃木神社宮司により無事神事が執り行われるが、あいかわらず強い風は収まらず。トリゴヤへの点火は行わないが、子供会によるトーチへの点火のみ行うというアナウンス。寒い中急遽開催の奇跡を信じて待っていたが、残念ながらこのまま撤収となった。

どんど焼きは通常は旧正月(1月15日)の前の日に執り行う行事だが、子供たちの参加あってのものであり近年では1/14近くの土日に行われるのが一般的である。


 栃木県北 花市・初市2019日程

 

 栃木県北 花市・初市2019日程

 「さくら市氏家暮市」12/23(日)13:00-21:00 

さくら市氏家花市」 1/7(月)13:00-21:00
   氏家中心市街地大通り  毎年7日に開催

「初市(東那須野地区)」 1/14(月)11:00-15:00
    JR那須塩原駅駅東口  毎年10日あたりに開催 
那須塩原市商工会東那須野支部フェイスブック
Laugh風呂 1月ライブ情報


「花市(西那須野地区)」 1/11(金)09:30-21:00
    JR西那須野駅西口桜通り  毎年11日に開催
西那須野商工会

「花市(大田原地区)」 1/12(土) 10:00-21:00
  大田原市役所通り(ベイシア入口から神明町交差点) 毎年12日に開催
大田原市観光協会 大田原花市

「花市(矢板市)」 1/13(日)11:00-20:00
 ベイシア矢板店駐車場 毎年13日に開催
矢板市商工会フェイスブック
矢板市観光協会


「花市(佐久山地区)」 1/14(月) 10:00-17:00
  佐久山小学校通り 毎年14日に開催
大田原市観光協会 イベント・歳時記

「黒田原花市」 1/19(土)10:00-17:00
  那須町役場前から相生町通り 毎年第三土曜日に開催
那須町観光協会フェイスブック
那須町広報

「黒磯初市(花市)」 1/26(土) 10:00-20:00
  黒磯駅前通り(線路と平行の通り) 毎年第四土曜日に開催
那須塩原市商工会

「黒羽大花市(黒羽地区)」 1/27(日) 9:00-17:00
  黒羽向旧駅前通り(黒羽郵便局前からR294) 毎年第四日曜日に開催
大田原市観光協会 イベント・歳時記


菊とギロチン

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混沌の大正末期、女相撲の一座とアナキストたちの熱き青春群像。赤松陽構造のタイトルと馬場正男の美術、ヒカリ座1の軋む袖幕もいい感じで何度も泣いた。#俺たちのヒカリ座

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「止められるか、俺たちを」舞台挨拶@フォーラム那須塩原

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白石和彌監督の「止められるか、俺たちを」の舞台挨拶に行った。1969年の若松プロダクションを舞台とした青春群像劇。最初は井浦新さんが若松監督って!?って思ってたけど、役者ってすごい!完全に若松孝二だった。学生の時8ミリのタングステンフィルムが生産中止になることになって困ったっていう話を若松監督にしたら「お前ら抗議行動の一つもしないでぶつぶつ愚痴ばかり言って何も変わらないじゃねえか、石投げろ!」と檄を飛ばされたのを思い出す。若松監督は生前フォーラム那須塩原キャタピラーと11.25自決の日で舞台挨拶に来たのを覚えている。その時会いに行けなかったので今回は来れて本当によかった。

会津中街道 奥州駒返坂と下野駒返坂

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会津中街道中絵巻 部分

garitune.hatenablog.jp



会津中街道 観音沼から2.5キロほどアスファルト舗装された林道を行くと、「奥州駒返し坂」の説明板が設置されている。北側の斜面を上がっていくと元禄8年に建てられた「奥州駒返坂の碑」がある。

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奥州駒返坂の碑

旧道は野際新田宿を出て、林道を左側に逸れ、つづら折でこの碑の処まで上がってきたという。実際の旧道は現在の林道と付いて離れて、少しずつ高度を上げていったようだ。前述の会津中街道中絵巻にも「奥州駒返坂」の表記の脇に「山神」とお社の図とともに「奥州駒返」と書かれた石碑が描かれている。これがこの奥州駒返坂の碑と思われる。

garitune.hatenablog.jp

 
会津中街道中絵巻には下野側にも同様に「下野駒返坂」と書かれている場所がある。

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会津中街道中絵巻より

三斗小屋新宿を過ぎ、にを澤(湯川)を渡り長いつづら折の坂を上る。ここに「下野駒返坂」と書かれている。つまり下野駒返坂とは麦飯坂のことだ。
沼面原(沼っ原)の文字の左側に「山神」と「下野駒返」と書かれた石碑、お社の図が。もしこの絵図のとおりなら、下野側にも街道の開削当初に「下野駒返坂の碑」が建立されたのではないか。今のところそれらしき石碑は見つかっていない。

この付近は湿地帯であり何度も道筋が変わっているであろう。沼っ原湿原は、明治から昭和20年頃にかけて軍用馬の放牧地として利用されていたという。


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那須野写真帖より

那須野写真帖」は昭和初期大田原町の写真館が作製した県北の町村の主要な施設や名所を網羅した写真集。三斗小屋宿とその周辺のトピックも思いのほか取り上げている。その中に見つけた写真がこれだ。キャプションに「竹の柱に笹の屋根 手鍋下げても、という麦飯坂上の生活」とある。まさに昭和初期の沼っ原湿原周辺付近の様子なのだが、多分炭焼きを生業として暮らす人達の仮小屋を写した写真なのではないか。百村山麓から板室、三斗小屋の旧道沿いのそこかしこに炭焼き窯跡の穴が散見される。