がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

梶ヶ沢と東泉の道標

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川崎道沿い、梶ヶ沢の地蔵堂に道標を見に来た。川崎反町から境林、会津中街道でも通った「岡村道踏切」を渡り、丘陵の尾根伝いに安沢に出て、喜連川へ向かうルートだ。目印のお堂はすぐに見つかった。

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梶ヶ沢の十九夜塔 
60×31×27cm 天保3年(1832)
[中央]

右 山ミち

十九夜

左 きつれがわ
[右]

天保三壬辰年

十一月

[左]

女人

 講中

お堂脇の石仏群に首と手の取れた如意輪観音がある。この台座が道標になっている。
矢板の古道」によるとこの地点は明治の中頃まで丁字路だったそうだ。
この地点には2つの道標があるとのことだが、もうひとつがみつからない。困ったときのお師匠頼み。ハクセキさんに電話で聞いてみる。お堂とは反対側の路傍に自然石の道標があった!

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梶ヶ沢の道標 年代不明
44×34×26cm

右 氏家

左 喜連川

右側に文字らしきものあるが埋まっていて解読できず。

移動、東泉の森戸酒造の近く。

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佐久山道入口。ここから100mほど入った場所にかつて修験の双箕山中寺があった。中寺跡の前を通り内川を渡って丘陵を越えるのが元山田道だ。

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御屋敷橋がかかる現山田道に対し、こちらを元山田道と区別しよう。この古道の名残がT宅の蔵脇に残る坂と石仏だ。

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坂途中に十九夜塔(如意輪観音)と二十三夜塔(勢至菩薩)が並んでいる。2年前の震災で二十三夜様のほうが倒れてしまったそうだ。十九夜様はどっしりと膝立胡坐(輪王座)で座っていらっしゃるのでなんとか持ちこたえた。しかしあまりの揺れの大きさに台座に大きなヒビが入ってしまっている。十九夜塔の方は嘉永5年(1852)の建立。

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 仰向けに倒れていた舟形後背の勢至菩薩を抱き起こした。道標になっているのはこちらの二十三夜塔の台座部分。

元山田道の勢至菩薩像(二十三夜塔)
163×49×47cm 明和4年(1767)
[台座中央]
左 伊佐野
     通
右 石神
[台座右]
邑中志
施主
願主
曲渕山
[台座左]
明和四丁亥天
十一月吉日

願主の曲渕山は曲渕山瑞雲院のこと。この丘陵のすぐ裏手に鏡山寺があるのだが何故に瑞雲院瑞雲院は鏡山寺の末寺であったが一時は鏡山寺よりも繁栄していた時期があったらしい。坂を上り詰めると(といっても数十m)丘陵の尾根上が道になっていて丁字路となる。右に行くと泉の鎮守である箒根神社を通りウハッキュウ道標を過ぎて会津中街道と合流する。会津道に入って山田、箒川を渡って石上に出られる。左に行くと切通しの現山田道に出るがその先細い山道が道向かいに延びている。タタラドから雲入に出る道か。