がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

元湯千軒の記憶

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平安時代から湯治客で賑わい「元湯千軒」と呼ばれた塩原元湯。寛永年間の湯本塩原は48軒の農家兼宿屋と8箇所の湯屋があった。邯鄲(かんたん)の湯、梶原の湯、帯刀(たてのき)湯から引湯した橋本の湯、御所の湯、川原の湯、中の湯、姥の湯である。

慶長16年(1611)大地震が起き一部の泉源が塞がった。再び万治2年(1659)に大地震が起こり、元湯の裏山が崩れ、神社仏閣、家屋は全半壊、源泉も冷水となり湯治場の機能は麻痺し、元湯千軒の繁栄は失われた。その後宇都宮藩により復興援助が行われたが、天和3年(1683)に再び大地震が起きて壊滅状態になる。再興不可能となり廃村、住民は各地に離散することになる。現在の元湯温泉は明治初期に再興されたものだ。

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元湯千軒の時代から元湯のお湯は硫黄泉。今回「温泉ふるまい」の機会に贅沢にも元湯三軒のハシゴを敢行する。まずは大出館。大出館は地図上ではゑびすや元泉館のすぐ隣なのだが、山の斜面に建っていてかなり大回りをしないと辿り着けない。山道の終点を折り返して坂道を降りたところに建物がある。うーん秘湯っぽい!

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こちらには五色の湯と墨の湯、御所の湯がある。

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左が五色の湯、右が墨の湯。五色の湯は気圧によってお湯の色が変わるという炭酸類温泉。墨の湯は、お湯に溶けきれない黒い不純物が漂っている真っ黒なお湯。どちらも摩訶不思議。

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こちらは開放感あふれる御所の湯。かつての御所の湯とはあくまで別の泉源のようだ。

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続いて赤川沿いに降りてきて、ゑびすやに行く。なかなかにシブイ建物。店番のばあちゃん含め三軒のなかで一番好みだな。

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奥が間欠泉の弘法の湯、手前が元湯最古の湯の梶原の湯。梶原の湯は万治地震以来冷泉になり、明治期の案内本には水温15℃と書かれているが現在はフツーに熱い温泉だ。超熱い弘法の湯と冷泉の梶原の湯を、交互に入れたらよかったのになあ。贅沢な温冷浴だよ。ゑびすやの梶原の湯と、元泉館の邯鄲の湯が元湯千軒の頃から存在する泉源とのこと。

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ゑびすやの廊下に展示された資料。これが例の元湯古地図。

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解説図まである。万治地震後の各戸の移転先が書いてあるのか。

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温泉の湯や湯花を薬として販売していた!?「妙香丹」「長命丸」「三名湯混合 貴名水」大正14年。

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そして最後に元泉館。今回内湯の邯鄲の湯は解放されていなかった。ふるまい対象の高尾の湯に向かう。

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高尾の湯


ふい~。どのお湯も良かったな。午前中でかなり湯疲れしてしまったぞ。

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古式湯まつりの準備中。「御神湯」はここ元湯を出発して塩原八幡宮に奉納し各地区に分湯される。湯汲み式は午後4時頃からとのこと。