がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

城主安全碑@波立

波立にある温泉神社。波立小学校の西側にある。この境内に「城主安全碑」と呼ばれる石塔がある。昭和7年に境内を掃除していた児童達により草に埋もれた石塔が発見された。

天下 享保五庚子年
奉 造建脚城主御代々御安全祈所
泰平 九月吉祥日

温泉神社の本殿脇に供えられていたが、先日の地震の際に崩れてしまったようだ。笠石が前方に飛んでいる。

隣の石祠も崩れてしまっていた。

当時大田原藩領だった波立村に領主の安全を祈願する碑が建てられた背景とは?享保5年(1720)当時の藩主は大田原扶清。良政を敷いたため庶民に親しまれていたから?「祈所」とあるのは何故か。

板室温泉神社の境内に大田原藩主が寄進したという弘化3年(1846)建立の石灯籠がある。当時の名称は塩澤の湯。当時、大田原藩主一行が塩澤の湯を訪れる際、波立村を通っていたことを想像するのは難しくない。石林から関根、波立道を通って、高林街道に出て百村、塩澤に出るルートだ。その際にこの温泉神社が休憩ポイントに使用されたとか。藩主を喜ばせるために旅行安全祈願のイベントを催した、なんて。本来休憩場所だったら庄屋の家とかになるかな。


すぐ近くの無栗屋 室井家の四脚門も様子を見に行った。土盛り、石段含め特に損傷はないように見える。

 

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