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がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

那須之漬

昭和初期の写真集「那須野写真帖」を見ていたら、以前から興味があった「那須之漬」の広告が載っていた。「那須野写真帖」というのは大田原町の写真館が作製したものらしく、奥付近くに大田原町内の名物紹介みたいなコーナーがある。

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昔時、九尾の狐の住みしと云ふ大那須野も 今は開拓され 本邦中稀れに見る大農園となれり。那須野漬は当地に産する物産多き中に 量に於て質に於て 優秀なる蔬菜類 殊に茄子と大根を主とし 店主が多年苦心研究に依りて調理吟製せるものにして 酒肴に食膳に茶請に供して 萬人に歓迎せらるゝ質素にて高尚なる風味を有する逸品にして 関東の名産として諸国に販売され 殊に朝鮮地方に迄販路を開き居ると云ふ。生産所は那須郡大田原町 古田半造商店(電話一〇九番)

那須野漬は野州名物として、全国区の知名度だったという。朝鮮地方というのは満州国のことか。主材料はナスとダイコンとある。福神漬のようなモノを想像していたのだが・・。製造元名も判明した。

その後、図書館で大田原郷土史の大家、益子孝治氏がまとめた「大田原なか町今昔」という小冊子を見つけた。この本は町内仲町エリアのいくつかのトピックをコラム形式でまとめた本で、那須之漬のほか、親不孝通り、路地、芸妓家などについての想い出が語られている。

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「大田原なか町今昔」より

那須野漬はもともと「乃木漬」として販売されていて、西郷従道の三男、小松伯爵が「那須乃漬」と命名した。大正4年に登録商標され、北海道から朝鮮、台湾まで流通した。「乃木漬」というのはいかにも時代である。平山酒造の「乃木之誉」が大流行したのもこの頃か。

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写真をみると左手奥に現在も建つ建物が写っている。元博労宿と言われる建物の手前、駐車場になっている場所に古田半蔵商店があったということか。
(2012年頃に馬喰宿は取り壊され更地になり分譲地として整備されてしまった)

秋になると、大根を干す櫓が組まれ、大根を洗滌して櫓に吊す光景と大根を洗う女工さんの姿は見事であった。原料桶が整然と並べられ、香気は遠慮なく人の味覚をそそる。山吹色に漬った大根、甘そうな蕪、茄子、胡瓜などの漬物を切り刻み、タンク式の洗滌場に廻され晒され、圧縮機に移され圧力によって原形は見る影もなく縮む、漬物樽に幾月か漬けられ、のち味と美しい扮飾とをもって市場に送り出されるのである。 

「大田原なか町今昔」より

原料はすべて那須野ヶ原産、昭和5年には年間に九升樽詰めで約3万樽を生産したという。大根13万貫(478.5t)、茄子10万貫(375t)を消費したというからすごい。一世を風靡した那須之漬が何故なくなってしまったのか、そしてどんな味だったのか今後も調べてみたいと思う。

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