がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

那須湯本の道標

遅めに起きた休日、那須白川道那須湯道)沿いの道標を観に行く。白川(白河)道は別名を白川米つけ道とも呼び、白河方面から那須湯本に生活物資を運んだ道だ。また白河方面からの湯治や高湯山詣での人々はこの道を通ってきた。

まずは湯本の町営いこい荘入口にある馬頭観音。

f:id:gari2:20140904012626j:plain

[正面]
従是 右道白川へ六里 棚倉へ十二里
梵字カン
馬頭観世音
左道 大丸へ壱里 北湯へ一リ余
[裏面]
文政十丁亥年三月吉祥日
□散碑建衡□□後也
施主 大高市左ェ門 
      同隆助

裏面碑文のくずし字がとんとわからん。「くずし字解読辞典」(児玉幸多著)と東大史料編纂所の電子くずし字字典DBで調べたりするが、全く覚えられない。やはり数をこなすしかないのか。
マウス入力検索の出来る「くずし字用例辞典」(東京堂出版)の精度はどんなもんなんだろう?持ってる人教えて。

f:id:gari2:20140904012711j:plain

ファイアーパターン(火焔背)に図案化された梵字カンのワンポイントがカッコいい!

ここ町営いこい荘は戦前、東(とう)公園という弓道場を主とした娯楽施設があった処だ。いこい荘の建物の北側を通っている山道が白河道だ。ここからつづら折を下ると喜楽旅館の裏を通り那須湯本の「元屋敷」と呼ばれる場所に降りる。安政5年の山津波の被害に遭うまではこの湯川沿いに湯屋と集落があった。白河方面は御料地内を通って大沢、大島(ひやり)、網子から稗返に出て、原街道に合流する。いこい荘の東、白河道沿いに教伝伝説に関係する塔碑の道標があるらしいが今回の散策ではみつけられなかった。

さらにボルケーノウェイを上がって弁天の湯の道標をみる。

f:id:gari2:20140904012827j:plain

弁天の湯道標
 
[正面]
   右 弁天湯
従是         道
   左 大丸塚
[左]
  天保十四年
     卯七月

大丸温泉にも道標があるらしいがまた今度。

湯本まで降りてくると、那須中学校の強歩行軍に遭遇。旭橋のたもとに車を停め次のポイントに。

f:id:gari2:20140904012909j:plain

湯本旭町、那須温泉郵便局前カーブから入る湯道(横沢道)三叉路の道標2基をみる。かつての湯道がこんな細い路地として残されているとは。路地は野鳥荘と佐藤食堂の間を抜け、東野バス駐車場に出た。

湯本旭町の六字名号塔

[正面]
南無阿弥陀仏
[右]
右 板室塩原 
     日光大田原 道
[左]
左 黒羽芦野道
[裏面]
黒羽田町 鈴木市右衛門母□
寛政八丙辰年八月吉日
当所箭内長八妹たミ

何の目的で奉納した石碑なんだろう?那須湯の効能で治癒したお礼、とかだったら六字名号にするかな。なにかの供養だよね。
「左 黒羽芦野道」は那須食販脇から下り、湯川を渡って現在の月井商店付近で那須街道に合流する道がかつてあったという。一軒茶屋Y字路で池田街道(湯本漆塚線)に入る道を指している。
「右 板室塩原 日光大田原道」は、那須温泉郵便局から占勝園前、那須板室線との十字路を通り、横沢に出る横沢道だ。板室、塩原方面には室野井から那珂川沿いに北上し、六斗地を経て板室阿久戸に出たのであろう。そこから塩原へは、会津中街道に入り百村、鴫内、湯宮を通る湯宮道で関谷に出たと考えられる。日光、大田原方面は、那須街道の元となった湯本道を通って高久橋本町から原街道で那珂川を渡渉、本郷町から練貫で奥州道中、大田原宿に向かうのか?日光は大田原宿から日光北街道、あるいは前述の湯宮道で関谷、金沢道で矢板宿から日光北街道なんてルートも考えられる。


湯本旭町の念仏供養六地蔵

[竿部分正面]
   右 むろ能い道
建之念仏供養塔□
   左 満津子道
[竿部分裏]
宝永四丁亥年五月建立

室野井は横沢の先、那珂川左岸にある集落名で横沢道であることがわかる。松子は那須街道沿い、高久甲にある集落名だ。

この道は那須街道が渋滞時によく使われる抜け道。考えてみれば、抜け道(側道)として利用している細い道が実は旧道だったり、古くからある道だったりするケースは多い。より便利に快適に作られた新道から外れ、かつての古道かもしれぬ細道に迷い込んで、どこに抜けているのか確認して新ルートを開拓するのは愉しい。だいたいは抜けられずに迷いっぱなしなんだけどね。

広告を非表示にする