がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

赤田の一里塚

会津中街道、赤田(松方)の一里塚が現存する!?

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赤田調整池建設の際、あるいは農場整備の際に整地されてしまったと誰もが思いこんでいた一里塚が現存している可能性があるという。場所は赤田調整池と酪農試験場の境、那須野ヶ原公園正門から調整池南端にある土地改良区事務所に向かう道沿い。江戸期から存在する関谷道と呼ばれる道で、巡検使が通ったとされている。

証言者は工業団地近くにお住まいの大正生まれの男性。翁は青年時代、松方農場付近の山林でよく薪を拾っていたという。塚は横林から大貫に抜ける道(旧会津中街道)と蟇沼道(前述の関谷道)の交差付近にあり、翁は塚にまつわるエピソードを鮮明な記憶として覚えておられた。庚申塚かなにかと思ったが、後年地元の郷土史家からその塚が一里塚であることを教わったという。

ここで、横林から現地までの旧道の現状をみていこう。
会津中街道は高林街道を逸れて蛇尾川の伏流部を渡河、接骨木街道に入る。横林宿問屋東泉家を過ぎると横林小学校の処で右の山道に逸れる。

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旧道脇には横接郷土史研究会の建てた記念碑がある。

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雑木林を抜け、木立の中にある分譲地内を通る。

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旧藤荷田村(騎手養成センター)から延びる道と交差しさらに進むと

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那須野ヶ原公園の敷地に入る。

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プール脇の駐車場からテニス場の管理施設付近を通り、赤田貯水池に向かう。

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赤田調整池を過ぎると前述の土地改良区事務所に向かう道、旧関谷道がある。関谷道と会津中街道の交差部分がどの辺りなのかは、以前から新旧地形図の比較で目星をつけていた。関谷道と酪農試験場の牧草地の間には防風林として15m程の自然林が残されているのだが、この箇所は大きな樹木が繁っておらず、牧草地を拓いた際の石ぐらが築かれている。

この付近に赤田一里塚と目される塚が存在しているかもしれないのだ。

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そしてついに翁に現地でお話を伺う機会が訪れた。翁に直接話を聞いたI夫妻と俺が立ち会い、塚のことを中心に当時のいろんな話を伺った。90を過ぎているとは思えない元気な足取りで、那須野が原公園の正面口から現場まで歩かれ、語り口調も記憶もしっかりされている。

翁のお話では、関谷道沿いの種育牧場(現酪農試験場)との境に残る自然林に一里塚と目印のクヌギの木が今でも残っているとのことだったが、どうやら以前の道幅のキワにあったせいで拡幅工事の際に消失してしまったようだ。現在の道幅に拡幅されたのは1980年(昭和55年)の赤田調整池が作られた時の模様。

赤田一里塚の研究といえば、佐藤栄一氏の論文「会津中街道赤田一里塚」(那須野ヶ原開拓史研究#10:1981)が知られている。 この論文の中で佐藤氏は、赤田一里塚の位置を今回の関谷道と会津中街道の交差より800mほど南西に想定している。これはあくまで前後の一里塚から真ん中を割り出したもので、物証は特にない。またこの論文の注目すべき点はM40測図地形図では抜け落ちている消失部分に赤田山北西のS字カーブの一部を想定していることだ。 この「角度」は確かに興味深い。もう一つ、街道跡の痕跡ではないかとされているのが、縦道脇にある赤田共同墓地の境界線だ。これは近隣にお住まいのIさんが提唱するルートである。


赤田共同墓地境界線と赤田山S字  大きな地図で見る

今回の翁の回想によると、会津中街道であった山道は関谷道と交差してからやや左にカーブし、現在のICループ東側付近を通っていたとのこと。佐藤説ではその先まっすぐ赤田山のS字に向かうのだが、翁の回想によると「土橋商店」裏手で分岐し、現在の高速道路に沿うように右にカーブしていたらしい。そうなってくると件の赤田の共同墓地脇の境界がルートに関係してくるかが気になるところ。翁は四区より南の当時の様子についてはあまり印象にないようだ。

最近の文献によると、「四区開拓百年の歩み」(1996)には、北川家で昭和30年代の開田作業時に見つけられた街道跡とおぼしき敷石、元々は西側の畑にあったという久保家の庭にある道標が紹介されている。今回の聞き取りで赤田の一里塚の位置について貴重な証言が得られたが、実際の物証は得られなかった。会津中街道の消失部分のルート取りの謎解きはまだまだ楽しめそうだ。