明治尾頭新道探索後に文献を探しに行ったら「尾頭トンネル工事誌」という本があった。尾頭峠をどうぶん抜くか、いくつかのルート案まで紹介されていてとても興味深い本なのだが、その中の「尾頭トンネル工区平面図」という地図に、尾頭峠の旧道、明治尾頭新道が描かれている。
太い破線で描かれた尾頭新道と三依道三十七曲がり。これがトンネルが開通するまで現役で使われていた道なのか、それとも便宜上新ルートとの比較で引かれたものなのかはわからない。尾頭新道は途中崩落で通れないので、実際徒歩で上三依に向かうなら、三十七曲がりから尾頭沢沿いを通っていたのだろう。
今回探索したルート、山沿い部分が明治尾頭新道(ピンク)、赤は以前歩いた高原道
では、前回の続き。
沢を渡る橋の跡
法面の岩場にはノミで砕いた形跡やポンチ穴がみられた。
対岸のスノーシェッドの道路が平行になってきた。
何度かの崩落地点を渡り進んでいくと、路肩に積もる土砂が尋常でなくなってきた。その先の崩落箇所は今までにない規模のえぐられ方だ。
道筋は跡形もなく、この崩落が連続して起きていた。
前述「尾頭トンネル工事誌」にもこの部分が新ルート選定でネックになったことを物語る図が載っている。トンネル坑口から尾頭沢の右岸を通るか左岸を通るか検討されたようだ。説明では尾頭沢の南北は地質が異なり、北側は斜長流紋岩から成っており大規模な山腹崩壊が三箇所あり、土工では困難、とある。
道跡はこの地図によれば崩落箇所を過ぎてすぐに折り返して斜面を下りまた先に進んでいる。この地図を見ると、現在の尾頭大橋を渡ったその先で現在の路肩に合流するルートどりだったようだ。
崩落箇所の手前の斜面に木製の人工物が。崩落地点をパスするための橋の名残か。崩落によりこの道が不通になったのはいつ頃のことなのか?
これ以上進むことが出来ず、小さな尾根を手がかりに沢に下りる。
下から見た崩落箇所。連続する三本のうちの右側。
崩落地帯の先は道が残っているのかも気になる。
とりあえず今回の探索はここまでとして車に戻った。