がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

鰻峠の探索

平治元年、武田耕雲斎率いる水戸天狗党の一千余名の一行は大子を出発し、左貫口、関ノ田和峠を越え、水戸藩須賀川村から明神峠、雲巌寺村、大多羅村を通り八溝山の西麓を北上する。一行は川上村の川上と露久保で宿泊。翌日明け方早く、西の山越えの道、南方鰻(うなぎ)坂へと向かう。

f:id:gari2:20141128195230j:plain

那須野ヶ原開拓史研究会の「那須野ヶ原の道」によれば、天狗党敗走の道、鰻峠へは「川上」から上がるとあり、西の入川沿いの山道だと思っていた。川上と南方の境界は川土橋で、川上側に西へ入るルートがあると思っていたのだが、光武敏郎氏の「天狗党が往く」によると、市道木佐美南方線(富士山林道)と同じ入口でいいようだ。ちなみにこの西の入川沿いの道は、尻高田から塩畑を通り黒羽に出る古道であった。西の入の佐藤家は屋号のように「待場(まちば)」と呼ばれていた。峠道にかかる手前の休憩場所の役割があったお宅のようだ。

西の入で現地の人に聞き取り。現在では通る人もなく藪に覆われているという。「天狗党が往く」の記述によると、

(富士山林)道を一キロほども登ると、左下に杉林の中へ隠れるようにして丸木を組んだだけの小さな橋が見える。それが鰻坂へ登る旧道の名残りだ

とある。西の入丁字路から1kmほど入った場所は確かに道路の左は低地で畑になっており、その奥に沢が流れ対岸は山沿いの杉林だ。再び付近の民家で鰻峠への行き方を尋ねると、営林署の地図を出してきてくれて説明してくれた。途中までは現在も作業道として使われている道で、途中から尾根に上がり、木佐美側に抜けるという。峠付近に送電線鉄塔があり、その先は道があるかわからないという。草茂る前のこの時期が探索に最適なのはいうまでもない。この時の営林署の地図を写真に収めさせてもらえばよかったのだが、生憎カメラを持っていなかったので、地図上を指でなぞる様子を携帯電話のムービーで撮らせてもらった(笑)。

f:id:gari2:20141128195345j:plain

そして肝心の旧道への入り口を尋ねると、ここから450m程戻った上小草橋付近からだという。上の画像の場所だが、この情報に関しては保留とする。

f:id:gari2:20141128195420j:plain

まずは、「天狗党が往く」の記述を基に、西の入丁字路から1km付近で入口を探す。沢沿いの畦をしばらく行くと、それらしい場所があった。沢に橋は架けられていないが、岸の地盤を良くするため細い丸太が転がしてある。沢の飛び石を渡り林の中に入っていく。しばらく藪を歩くが、軽トラも通れそうな作業道を見つけた。これが先ほど教えてもらった道でよいのか確証はまだない。右に尾根の斜面をみて作業道を進んでいく。果たしてこのまま作業道を進んでいいものか。多分この右の尾根沿いに行けば、地形図上の496mピーク、そして送電線鉄塔を通って木佐美の林道Y字分岐方面に出られるはずだ、と考えた。今回はあくまで地形状況探索と割り切って尾根上に上がってみた。

f:id:gari2:20141128195509j:plain

ここで先に今回の探索行程を、地図上のGPSの軌跡で紹介しておく。

f:id:gari2:20141128195615j:plain

尾根上には特に道跡らしきものはなく、全面に杉の植林がされていた。496mピークを過ぎ、しばらくすると突然視界が明るくなる。

f:id:gari2:20141128195646j:plain

尾根が断ち切られ、切り通しとなっている。切通しの向こう端に送電線の鉄塔が建っている。地図上で確認すると、富士山峠から繋がる舗装林道の終点がこの切通し部分のようだ。

f:id:gari2:20141128195733j:plain

巡視路を上がって向こう側の尾根の鉄塔下に登って来た。
地形から見ると、鰻峠への道は尾根の麓沿いをずっと進み、この鉄塔付近に向けて尾根を上がってきて、その先は尾根上を行くルートのようだ。

f:id:gari2:20141128195815j:plain

前述「天狗党が往く」より

鰻坂はくねくねと昇り降りの多い山道である。天狗党の先頭がこの坂に入ったとき、背後の八溝山の波型の嶺から、ようやく冬の陽が昇った。「千万人と雖(いえど)も吾れ行かん」の大旗は、朝陽の中で踊っているようだ。

f:id:gari2:20141128195857j:plain

小さな神社の前を過ぎ、鰻が住むという沼を過ぎると、すぐ峠だった。眼下には平野が開け、遥か彼方には那須の連山が横たわっていた。茶臼岳の白い噴煙が、晴れた冬空に動きを忘れてしまっているようだ。



実際は尾根上は杉の植林で視界は全くなく、尾根の下りかけたところでやっと那須野ヶ原方面の視界がチラチラと見える感じだ。・・ところでこういったルートの場合、どこを峠とみなせばよいのか?鉄塔・切通しの場所が峠ということでおK?
するとこの手前に鰻沼と神社が?鰻沼に関しては、両郷にある沼のウナギ伝説からでは?と道を教えてくれた方が云っていた。鍋掛の一里塚付近にも大ウナギ伝説の沼があったな。

その先、尾根脇にある道に沿って進むと、次第に大尾根から離れてなだらかな傾斜の下りに入っていく。いくつかの作業道が分岐し、果たしてどれが古道かわからなくなり、またちゃんと帰還できるか不安になってきた。

f:id:gari2:20141128200532j:plain

南北に走る林道に出てくる。とりあえずこれで富士山林道に戻れるか。途中で大尾根の先端らしき出っ張りを見つけたので、そちらに進んでみる。車の通過音がたまに聞こえる。そこは・・

f:id:gari2:20141128200609j:plain

木佐美南方トンネル木佐美側入口の脇の斜面だった。広場に2、3台停車していて恥ずかしかったが降りてみる。

f:id:gari2:20141128200642j:plain

せっかく富士山(ふじやま)峠入口に出たので旧道を歩いてみよう。

f:id:gari2:20141128200722j:plain

この辺がピークかな。切り通しになっている。

f:id:gari2:20141128200801j:plain

結構なつづら折れだ。冬場は通りたくないな。

f:id:gari2:20141128200839j:plain

南富士山林道入口。施工は東京電力となっている。もともと送電線鉄塔を設置するために拓いた道なのだった。作られたのはなんとH12年!あの鰻峠の切通しもこの開削の際につけられたものなのだろうか?

f:id:gari2:20141128200929j:plain

峠へのアクセスも良いし単独行で木佐美側に辿れそうだ。最初に歩いた作業道から峠への道程も気になるし再訪することになりそうだ。

武田耕雲斎率いる天狗党一千余名による西上の大行軍が那須野ヶ原を通ったのは1864年のこと。さて、いったいどんなルートを通ったのか?この本でわかります。




ありそうでなかった栃木の峠本。栃木県の56の峠を、地理的な情報だけでなく歴史、峠を行き来した人々に焦点をあてた力作。自動車道路やバイパスが通ることにより、人々の記憶から消えようとしている旧道の峠と人との関わりを、丹念に歩き、聞き書きしてまとめた良書。

 こちらが正式な鰻峠のレポート

南方鰻坂 - がりつうしん

 

広告を非表示にする