塩原の里ウォークからの切出しです。
三依・横川・塩原を領地としていた塩原氏が衰退し、宇都宮氏の家臣の君島信濃守が塩原に侵入してくる。康歴2年(1380)、畑下の対岸富士山の峰部分に建てられた居城が通称「離れ室」である。
青葉通り弁天大橋からの眺め。前方は箒川の渓谷、後方は富士山と「守りに堅く攻めるに困難」な抜群の立地で、眼下に塩原盆地を一望できる場所だ。写真手前は、湾曲する箒川の半島状にせり出した畑下温泉の先にある中州で、川を挟んだ崖上に城跡が残っているという。
富士山側青葉通りからみた城山。南側も掘割が残っており、その際に民家が建っている。堀の窪み部分にも家が。