がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿の3

小池・板倉集落を抜けて戸石川を渡り、倉谷・水抜宿へ。

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倉谷と水抜はほとんど一つの集落のようだが、小さな小川が境界線になっている。かつてはこの地域の商業の中心地で、寛永~貞享年間には六斎市が立ち、主に米を売買したという。現在は山あいにひっそりと佇む小さな集落だ。

 

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屋並みは宿駅であった頃の面影が残り、街道を挟んで南北に向かい合ってくし型に並び、本陣・脇本陣だけが横を向いている。

 

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各家に屋号があり、現在も屋号で呼びあっている。本陣で名主の猪俣家は屋号を「米屋」という。集落の建物のデザインがほぼ同じで、統一感がある。藁葺き屋根の上からトタンを張っているようだ。会津中街道、大戸の小塩集落を思い出すカラーリングだ。

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倉谷宿は宿泊地というよりは休憩のための宿場だったようだ。楢原宿から倉谷宿までは32町(3.5km)、大内宿とは2里2町離れている。水抜集落の西端が鉤型、というか筋違いになっていて、そこから裏山に上がっていく小道が旧道である。

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坂の登り口に立つ道標。天保4年(1833)建立。


「右 若松柳津
 左 戸石郷道」

 その隣の南無阿弥陀仏の石塔にも「右 若松 左 戸石」と刻まれていたようだが、今回はチェック漏れしてしまった。 舗装された県道のクネクネ道と交差しながら旧道を上がっていくと、左にお庚申さまの石仏群がある。しばらく歩くと高倉山の「長寿の水」といわれる湧水が。ここで小休止、冷たく冷えたトマトにかぶりついて一息つく。さあ、これからが本日のヤマ場、中山峠だ。