がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

二十歳の原点

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二十歳の原点」をブックオフでみつけて久々に読んでみた。初めて読んだのは中二くらいだったか。

高野悦子は俺と同じ町の出身で、「ノート」や「序章」にはよく知る学校名が載っていたりして親近感を覚えたものだ。まるで姉の日記を盗み読むような後ろめたさがドキドキで良かった。自分を見つめるための「秘密」の日記なわけで、個人的なこと、たとえば性的な欲望・・といった赤裸々な内容も含まれている。彼女が自殺したあと、下宿から見つかった数十冊のノートを、父が娘の遺書として、地元の文学誌に載せたことから話題を呼び、大手出版社から出版されることになったのがこの「二十歳の原点」である。その後、それ以前の日記を「序章」「ノート」として出版するわけだが、当時俺が思ったのは、いくら父親とはいえ、死んだ娘のプライバシーをこんな形で公表することは絶対おかしいんじゃないか、ということだった。もちろん彼の決断によって公に出なければ、この豊かな才能と出会うことはできなかったわけで・・。娘の物書きとしての才能を世間に知らしめることで、死んだ娘が喜ぶと考えるなら、別に詩の部分の抜粋だけでもよかったわけだし。そういえば高野悦子は高校時代に「町史を詩で綴るべく構想を練るが未完成」、と父編纂の略歴にあった。ホメロスかっ。

なんで「序章」「ノート」まで出す必要があったかはともかく、三部作としての愉しみ方は、日記を通していかにして高野悦子の内省的な文章(性格)が確立していったかかが分かる点がひとつ、そしてもうひとつは十代前半からの文章力の成長と変化が眺められる点にある。同時に一人のオンナノコの内面的な成長を日記を通して観察できるのがおもしろいのだ。

14で読んだときと感じ方が大きく違っていたのは、俺の受け止め方が「お父さん目線」になっていたことだった。ああ、うちのコもこんなことに悩む時期がすぐ来てしまうんだなぁ、と切なくなっていたりするのだ。高野悦子ではなく、今は亡き娘の日記を読み返す父三郎に感情移入しているのだよ、ああ。
ウチの娘も「造反有理」ってナニ?って聞いてくる日が来るのだろうか?ナンセンスっ。

彼女の実家は踏切にすごく近い処にあるんだが、その踏切を通るたびに、高野悦子は、どんな気持ちで線路に飛び込んだんだろう、と考えてしまって嫌な気持ちになったものだ。ご家族だって電車の音がする度に、娘のことを考えてしまったのだろうな、などと思ったりした。

当時町の図書館には父親の名を冠した書棚のコーナーがあり、それは彼の寄付によって作られたコーナーだったのだろう。もしや当家の蔵書だったものなのか?金剛出版のパトグラフィ叢書シリーズ(第4巻が辻潤)や、片桐ユズル翻訳のビート詩集など、その後の俺の読書傾向に影響を与えたものも多かった。当時、作品中の学生運動が盛んだった頃の時代背景をもっとよく知りたかったのだが、町の図書館の蔵書では調べる手立てがなかった。あの頃のことはことごとく封印されていた。学校の先生に聞いても嫌な顔されるし。

連合赤軍と「二十歳の原点」 

 

二十歳の原点 (新潮文庫)

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アーリーデイズ (二十歳の原点+未発表ライヴ)

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