がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

バッケノママの一里塚

田島の繁華街を東の木戸でR121沿いに曲がらずにまっすぐ行き山裾を行く。大通りは昭和に入って何度か火災に遭い拡幅されているが、この辺り「横町」の道幅は当時のものなのだろうか。鉤の手の箇所もあり宿駅特有の佇まい。

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県道に合流し右折、水無川を渡りしばらく行くと、田部原(たべはら)のはずれの「バッケノママの一里塚」が道の両側に見える。画像は北塚。「バッケ」はアイヌ語で高い土手あるいは崖の上といった意味だ。この一里塚は会津西街道(下野街道)の、会津若松大町の辻から数えて12番目と案内板には書いてある。南塚は県道の拡幅工事で削られてしまったが、道を挟んだ向こうには、なんとなくレプリカの意図のある山が作られている。

この附近は江戸時代刑場であったとされ、古くは天正10年(1591)太閤検地の際に検地役人と下郷赤岡村百姓との間で紛争があり、役人を殺害した罪で百姓60余名がここで処刑されたという。

参考文献:
「歴史の道 下野街道(南山通り)」 現地掲示