白石さん、なためさんの報告で知って復元された乙畑の一里塚(西塚)を見てきた。
会津中街道沿いの乙畑宿の集落を過ぎてちょっと行ったところにある一里塚である。この附近は太鼓塚と呼ばれているが、一里塚を太鼓塚と呼んでいたのか、それとも別に太鼓塚と呼ばれていた塚があったのかは不明である。田畑を拓いた際に平らにしてしまい、一里塚の場所を示す標柱のみが立てられていたが、このたび地主さんのご好意で一里塚が復元された。
が、ちょっと不満な点が・・。造詣が深い矢板市が監修している割には塚の形もおざなりだし、周りに並べられた庭石も・・センスないなぁ。江戸からの距離の問題も結局そのままなのねん。
*追記 矢板市には特に相談はなかったそうです。まあ、標柱最初に立てたのは矢板市だし・・。
とまれかくまれ、会津中街道がココを通っていたことを知ってもらえる機会が増えるのはよいことだー。みんなぜひ観に来なされ。
乙畑~下石上
ALPSLAB routeを使ったルート再生マップ