がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

会津中街道 面川から大町四つ角を歩く

ついについに、今回でゴォールを迎える会津中街道踏破の旅。午前9時、面川集落からスタート、朝霧で進行方向が全く見えない。幻想的な景色のなか、街道の起点、大町四つ角に向けて出発した。

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面川から旧街道沿いの神社や石仏を見ながら、野寺薬師、あいづドーム(スケートパークがある!)に寄って、御山の広大な柿畑が広がる地区を通る。このへんは「会津みしらず柿」の産地で有名だ。「みしらず柿」の名前の由来は諸説あって、将軍が「未だかかる美味しい柿を知らず」と誉めたからという説(未不知)と、実をつけ過ぎて自分の枝を折ってしまうということからという説(身不知)などがある。もう少し経つと柿の葉が紅葉して、素晴らしい風景になるという。

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旧街道沿いにある蔵を利用した柿の販売所で、みしらず柿を試食。おいしい!けど、ケースを背負ってこの先を行くわけにもいかず、また今度。このあと街道から逸れて、照谷寺の岩屋観音を観に寄った。

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その先、旧街道沿いにこんなものが。電話ボックスではないの?「町内放送室」?

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中にはアンプとマイク、ピンポンパンのシロフォン、そしてラジカセ!?とおりがかりのおじさんに聞いたら、この地区の住民にお知らせを流すための施設だそうで。たしかに頭上にはスピーカーが。「今日は作業を休む日なので、ちゃんと休んでください」とかアナウンスするんだって。知り合いの家にこのサイズのユニット録音ブースがあったが、電話ボックスって…。ラジカセ流してBGMをミキシング?

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もうひとつ放送室発見!ガラス張りになる前の電話ボックスってこんなだったんだ!

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それにしても我々はなんと贅沢な旅をしているのだろう。氏家阿久津河岸から、俺の住む那須塩を経て会津若松まで、古の人々が作り、行き来した道を、一歩一歩踏みしめて、この脚と体で感じ取る31里10町57間の旅。もちろん、サポートしてくれる人たちがいるからこそ、安心して徒歩の旅が出来るのだが。車で路面を蹴っ飛ばし、車窓の風景を吹き飛ばす現代の旅とは違った、趣のある旅が出来た。今回で会津中街道の通し歩きは終了するが、またこんな企画があったら是非参加したいと思う。

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旧街道と大道東通りがぶつかる辺り、黒岩方面との分岐に高さ138cmの「文化八未年三月 右 たじま 日光 左 いわや観音」の道標が建っている。「いわや観音」とは先ほど寄ってきた照谷寺の岩屋観音のことだ。江戸中期は子授けの岩屋観音として信仰を集めていたという。もともと照谷寺にあったわけではなく、御山の山中(岩屋山?)に向かう道か。このように建立当時の名所旧跡が道標の行き先になるケースもあるので、石村の道標の「くら掛」も地名ではない可能性もあるな。

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青木に入り、柿畑もなくなってきて住宅が密集して建つエリアに入ってきた。ブロックにより道幅の狭い部分も残っており、道路拡張の名残なのか、道路にはみ出して建つ木製の電信柱があった。我々の列を見送ってくれた通り沿いのおばさんによると、近々この電柱は撤去されてしまうそうだ。役目を終える木製の電柱と記念写真を撮って勇退をねぎらった。

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善龍寺に寄り、昼食休憩。善龍寺の山門は竜宮造りと呼ばれるメルヘンチックなデザインだ。戊辰戦争の際、本堂は戦火にあい焼失したが、この門は無事だった。善龍寺には、戊辰の役で悲業の死を遂げた会津の女性たちの偉業を称える「なよ竹の碑」をはじめ、西郷頼母一族の墓などがある。

街道にもどりさらに進むと、旧道はバイパスと合流する。このまま小田橋(かつては新橋)を渡り城内に入ることなく、右にそれて宝積寺方向へ進む。街道は宗英寺前を通るので今回はひとつ上の新田橋を渡った。途中芦名家廟所に寄り住宅地を抜け湯川沿いに出る。


会津中街道(松川新道・宇都宮街道) 面川から大町四つ角を歩く
ルートラボで作った今回のルート

この項そのうち更新