会津中街道をたどる旅。上小塩から面川までを行く。
大戸の集落はいつも会津方面に行く時に必ず通る道。これが会津中街道を元にした道だったとは。街道に面して色鮮やかなトタン屋根が続く。どの屋根も煙出しの付いた茅葺き屋根にトタンをふいたものだ。屋根の妻には屋号やトタンを葺いた年が書かれていておもしろい。
以前から気になっていた「うえんで食堂」の前を通る。「うえんで」とは、おかみのウエンディさんから付いた名前だとか。嘘。「上の台」という地名からだとさ。こういう町の食堂はいつまでも残したいよね。
「るるぶ」などで紹介され、今や全国区となった「牛乳屋食堂」。芦ノ牧温泉駅通りにある。あくまで遠くから眺めただけ。いつかは行ってみたいのぅ。
佐藤さんが大戸史跡保存会の会長芳賀惟士さんに対面させてくれた。桑原から街道沿いの見どころで見かけた柱標は、この人が中心になって建てたのだ。この辺りの街道については、もっといろいろと興味深い話を知ってらっしゃるのでしょうな。もっとお話したかった・・。
今回圧巻だったのは下雨屋の薬師堂だ。近くには享保15年(1730)の薬師堂建立碑、天明7年(1787)の湯殿山が建っている。
小高い山の上に建つお堂の裏手、山頂の岩場は、いかにも山伏が法螺貝を吹きそうなロケーションでとってもマーべラス。いかにも修験者が修行してたポイントっぽいね。あるいは烽火台か。宮内の金峯神社が山伏の修行道場だと、白石さんが書いていたな。
お堂はかなり老朽化がすすんでおり、 礎石の下の土が削られて基礎が浮いてしまっていた。山に上がる途中の道にあった建設途中の銅葺きの建物が、新設移築された薬師堂なんだそうだ。以前来た時にあった立派な手水器が、山下の建築現場に移動されていたそうだ。向こうが完成したら、こちらの古いお堂は取り壊されてしまうのだろうか?