「会津中街道を歩く会060917」前夜祭at勢至堂さんち。蔵書をサカナに呑んでいたら気になる写真を発見。岩波の「新風土記栃木県 復刻版」を見ていたらこんな写真が。
キャプションは「奥羽街道の道標 黒磯」とあるが、銘文をよくみると「奥羽街道 烏ヶ森公園道」とある。そう、これは烏ヶ森入口の道標なのだ。この本のオリジナルは1958年(S33)に出版された本なのだが、当時R4はまだ、みますや前交差点でクランクするいわゆる「旧4号」の時代。ちなみに三島交差点から富山までの直線バイパス工事が完成したのが1964年(S39)だ。道標が今の位置と変わらないとしたら、この写真のバックの藪っぷりはなんなんだろう?烏ヶ森公園への道はもっと右にあるのだろうか?謎だ。
あと、おお、と思った地元写真をいくつか紹介。
旧菊池時計店のフタマタあたりから塩原方面。一本杉に火の見ヤグラがあったというはなし。そう、昭和の地図見ると塩原街道のことを「会津東街道」と書いてるよね。大貫街道こと「会津西街道塩原通り」が塩原街道、別名会津東街道だったのが、三島新道ができて(新)塩原街道と呼ばれるようになったので、じゃあこっちが(新)会津東街道ね、って経緯なのか?
これは金灯篭交差点から野崎方面。左カドがハトヤ、右カドが米喜。右後ろに足利銀行があった時代か?この当時の灯篭は三斗小屋宿からのレンタル。ロータリーですよ。カッコイイ!!
本の始めの方に、各地の名産品地図がイラストで載ってて、西那須野の辺りは生糸が描いてあった。大和組などの製糸産業がまだまだ頑張っていた時代。
「新」があるってコトは、もっと古い時代のオリジナル「風土記」ってのも出版されていたのかナ?
岩波映画製作所の記録写真集などイイ仕事について詳しいページ
古本虎の子文庫
勢至堂さんちの本棚は、カメラマンなだけあって興味深い写真集が多い。報道写真やポートレイトもの。今回は青林堂20周年記念のアンソロジー本を借りてきた。