がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

カノ道を往くのさ

地形図を眺めていたら、石林のカノ道とその延長の古道が、市野沢の滝まで繋がっていることに気づいた。岡交差点近くと富池の温泉神社に道標があるようなので、撮影もかねて出かけることにした。日曜の朝小雨の中、車を走らせる。石林の原街道と市野沢の奥州海道をつなぐ間道をたどる道のりだ。  

 R400沿いのダイリンの展示場から北東に向かい、東野鉄道跡のぽっぽ通りを横切り、田園のクネクネ道を進む。この辺に狩野道上という字名があるらしい。間もなく原街道石林通りとの十字路となる。左折すると石林の道標がある。今回はまっすぐ進み、蛇尾川のトヤ橋を渡って今泉から岡へ。


 岡交差点の裏に三日月不動とS4年の道標を見つける。造立年の頃は 昭和天皇即位の御大典記念で、各地の青年団が道標を建てまくっているが、この道標に関しては、特に御大典を記念したものではないようだ。岡交差点にあるS3年の道路改修記念碑を見てから富池方面に向かう。


ライスラインと平行して、クネクネの古道が残っている。すぐ隣のまっすぐで立派なライスラインと対照的なその道は、とても魅力的だ。よくぞ21世紀までほ場されずに残ったものだ。横関運輸の横に出て道は終わっているが、その延長上にライスラインを渡り富池方面に伸びる道がある。ちなみに横関運輸の前の道は、明宿の道標2から町島・荒井・富池・沼野田和・大原間・前弥六・鹿野崎へと向かうもうひとつの「カノ道」だ。 ライスラインを渡り、重機精密の工場の前の小山が富池温泉神社である。ここ富池温泉神社本殿裏に数体の石仏が倒れており、その中に道祖神道標がある。なぜこれらの石仏が神社裏に放置されているのか疑問に思えた。道標もあるし、もともと街道筋にあったものではないのか?市野沢滝の橋手前で奥州海道に合流することを確認して、もういちど今泉に戻って、金田と大田原の境界標を探すが見つからず。乃木神社の骨董市を覗いてから帰宅した。 ==== 先日行った「昔日の栃木県と宇都宮の大古地図展」で観た地図に 「下野掌覧」というのがあって


 この地図の「石林」から出ている道に「古道」と書いてあって、「小滝」まで繋がっていることに注目!! 「下野掌覧」は制作年代が不明なのだが、江戸時代?でも、大田原のところに「古城」って書いてあるね。その頃から「古道」と注意書きがされるってのはどういうことか?