がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

消えた藤荷田村

那須野ヶ原公園の南口近くの分譲地に、六角地蔵と如意輪観世音がある。この場所は旧谷中官有地といわれる場所で、足尾銅山鉱毒汚染で明治37年11月に集団移住してきた人々が入植した土地だ。如意輪観世音には文久2年10月と刻まれているので、それ以前の建立だとわかる。

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 今の競馬教養センターのある場所には藤荷田村という集落があった。1600年代後期から1800年代初期まで存在したと思われる。藤荷田村は文政年間に疫病が流行し、村人は全て病死し廃村となった。横接の人々が用水の水を利用していたのに対し、山からの湧き水を利用していたためといわれる。

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騎手養成所の南に集められた藤荷田村の墓石・石仏群

近くの藤荷田山には愛宕神社があり、藤荷田村の住民が石段の一部や石宮別社を寄進している。藤荷田村の北部にあり村民の信仰した愛宕神社にも近いことから、これらの石仏は藤荷田村の人々により建てられたのではないかと考えられる。競馬教養センターから那須野ヶ原公園に行く道、藤荷田水神山道と会津中街道の交差ポイントは、会津中街道千本松から三区までの消失部分の北限となっている。下の画像はサンサンタワーからの赤田調整池で、中央奥が藤荷田山である。

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