がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

旧道・古道

白河道/那須道

昨年秋に部分的に調べて、ほっぽってあった白河道/那須道(湯道)のルートを本格的に歩いてみようと思う。 綱子~荻久保~北沢~大沢(ひやり)~大深掘温泉(ぬく湯)~御料地内~教傳道標~東公園跡~那須湯本というルートは文献であたりがついている。主…

三斗小屋温泉 大黒屋本館

会津中街道交流会の第2回シンポジウムで三斗小屋温泉に宿泊した。中学生の野外学習以来、30年ぶりの訪問だ。 三斗小屋温泉は、康治元年(1142)、奥州信夫郡信夫村の生島某という人物の夢枕に「大黒天」が立ち、そのお告げにより発見したという。長らく黒羽…

高阿津金沢橋

前から気になっていた高阿津金沢橋がいつの間にか開通していた。 旧高阿津道大田原坂より400m程上流、県道30号側はちょうど要金寺前あたり。 何故金沢-高阿津の位置に?雲入-石上の辺りに掛けた方が利用頻度は高いような気がするけど。老朽化した宇都野橋…

高湯山行人道 湯本温泉神社からヨシヤジまで

湯本温泉神社の本殿脇の参詣路入口から高雄温泉、平石、ヨシヤジ(与五右衛門)までを辿ってみる。 境内にある見立神社の前に明治20年の高湯山神社の灯籠と、那須嶽神社の石碑が並んでいる。なぜここに高湯山信仰の石碑があるかというと、この右手が高湯山の参…

一里塚の基点の件

五街道の一里塚は、江戸日本橋を基点にしている。慶長9年2月、江戸幕府による「将軍家被仰出 諸海道ニ一里塚つき可申」旨の指令により道中奉行を通じて諸国の大名に伝達され築かれた。では、五街道以外の脇街道はどうだったのか。会津と阿久津河岸を結ぶ街道…

「会津中街道絵図」を読み解く

6月5日、会津中街道絵図見学会及び第1回シンポジウムに参加、栃木県博物館所蔵の「会津中街道絵図」を間近に観る機会を得た。栃木側、会津側の会津中街道のエキスパートの方々が勢揃いした。「会津中街道絵図」について絵図の中にはタイトル、作者名、作成年…

山開きに三斗小屋宿跡へ

茶臼岳を下りたあと、震災から塔碑の被害がずっと気になっていた三斗小屋宿跡に行ってみた。那須嶽山開きのこの日こそ、三斗小屋口白湯山を訪れるべきだろう。茶臼岳を降りると風が強くて(風速18m、もう少しでロープウェイが止まるところだった)小雨まで…

「奥州記行」で辿る日光北街道

「奥州記行」という紀行文がある。江戸の住人、富田伊之(これゆき)が安永6年(1769)、みちのくの歌枕の名蹟を訪ねた旅の記録である。富田伊之の詳細は不明だが、おそらくは裕福な町人の隠居であろうか、風雅を好む知識人であろう。当時、俳句、川柳、狂歌…

夫婦石坂@芦野

黒川集落対岸の夫婦石坂(仮称)のある斜面の樹木が伐採されている、というPUUさんからの情報で、奥州道中の黒川集落にやってきた。 以前の丘陵の状態現在の県道は、黒川を渡河し夫婦石の丘陵を巻くように造られているが、かつての奥州道中はこの丘陵をつづ…

泉光院、那須野を彷徨う

「日本九峰修行日記」で泉光院野田成亮が辿った道のりをちょっと紹介。会津若松から那須野に入るあたりの日記。文化13年のリアル。 廿八日 晴天。荒井村立、辰の上刻。即時会津城下へ出づ、御城平地、角楼三つ天守の如く見ゆ、追手東向、廓広し、町東北にあ…

松の木@高久丙大沢

大深掘で出会ったおばあさんは地元ッ子らしく、大沢から東公園に上がり、那須湯元に下りる「湯道(那須道)」についてもスルっと教えてくれた。前述の大深堀集落脇の道は湯道ではないことが判明。大沢の十字路から八幡温泉に上がる県道344号を上がり、「松の…

「日本九峰修行日記」泉光院野田成亮

以前、宮本常一が本の中で、泉光院という山伏が大田原の金丸に滞在した時のことを語っているのを読んだことがあった。たまたま子供の付き添いで図書館に行ったとき、その本を偶然見つけ泉光院の紀行文の詳細が知りたくなった。蔵書検索で調べていたら、解説…

尾頭峠小滝側 師に助言を給う

ユウレイソウ 6月上旬今尾頭道(会津西街道塩原通り)の明治の新道との出合いから先の道跡が見つけられない。前回見つけた新道から分岐する道跡を下ってみたのだが、つづら折の先は新道の2段目を跨いで小さな枝尾根に降り、その先は消失していた。ビジターセ…

尾頭峠小滝側の探索の3

その2へ尾頭山の南東側斜面は、江戸期の今尾頭道と明治尾頭新道のつづら折りが複雑に交差している。前回、谷筋を上がる今尾頭道から明治尾頭新道に出たものの、今尾頭道の続きの道をみつけることができなかった。この尾頭山の南東側斜面に存在する道跡を丹…

尾頭峠小滝側の探索の2

(4月と5月の撮影時期が異なるものが混在しますがご容赦) 中道沢入口から右岸側をずっと遡ってくると、小さな沢と二俣になっている所から100m程で、沢がナメになっている場所がある。ここで左岸(中間尾根側)に渡りちょっと進むと、振り返り気味に取り付き…

尾頭峠小滝側の探索の1

尾頭峠(標高1142m)は、那須地方と会津地方の文化圈を隔てる境となる峠だ。以前から興味があって、昨年は、三依側の明治尾頭新道と、尾頭沢を遡り九十九折の坂を上がる中世・江戸期の道を辿ってみた。今年は小滝側からの尾頭峠への道を探索しようと思い立っ…

赤田の一里塚

会津中街道、赤田(松方)の一里塚が現存する!? 赤田調整池建設の際、あるいは農場整備の際に整地されてしまったと誰もが思いこんでいた一里塚が現存している可能性があるという。場所は赤田調整池と酪農試験場の境、那須野ヶ原公園正門から調整池南端にあ…

倉掛峠の探索

日光北街道の玉生と倉掛の間に倉掛峠がある。現在R461となっている道の基は明治21年に開通したもので、倉掛三険と呼ばれた戸方坂、日光坂、外出坂を避けるように作られてる。日光坂と外出坂の間のピークが倉掛峠だ。 峠にある倉掛新路記の碑によると、この一…

鹿野崎の出釜跡

PUUさんに教えて頂いた鹿野崎の出釜跡に行ってきた。波立道は高林街道と交差して塩野崎で弥六道と合流する。戊辰役、板室の戦いの前哨戦である塩野崎の戦いのあった薬王寺、峰薬師の脇を通って鹿野崎に至る。この道は板戸河岸の坂本家の古文書に出てくる新道…

那須街道赤松林

道路の雪が消えるのを待って、那須町高久甲に行ってきた。高久本郷付近の未確認の道標を見に来たのだが、情報不足で見つけることができなかった。 ついでに、新高久の那須街道沿いの赤松林に残る那須道(湯道・湯本道)を見に行った。 那須街道の両側に広が…

乙連沢五町歩の堀割

PUUさんに紹介頂いた乙連沢の堀割を観に行ってきた。六町歩と呼ばれるこの辺りは、細長い窪地となっており、かつては沢であった形跡がある。この窪地は南東に向かい、乙連沢(おとれざわ)に合流する。この付近には湧水が点在し、それに沿うように集落が散ら…

沢観音寺裏の湯坂の探索

地図に載ってない「坂」の名前を収集しようと、最近いろいろと調べている。 大田原春雄氏の名著「那須野の地名」をパラパラと見ていたら、平沢の地名に「湯坂下」という場所があり、その説明文に興味を持った。 沢観音寺から箒川筋に沿った急坂の崖にあり、…

小休戸集落

今市から栗山を結ぶ大笹峠越えの道は、今でこそひっそりと静まりかえった山奥の林道であるが、昭和初期のころまで人や馬による物資の運搬が盛んに行われていた。栗山青柳からさらに桧枝岐、会津に抜ける裏道としての利用もあった。 「栗山街道」と呼ばれるこ…

尾頭峠上三依側 文献より

熊野堂上の尾根突端の石仏群の存在から、江戸期の尾頭道のルートとして、尾頭沢の左岸を通る道があったのではないか、という推論で押し進めてきた俺であるが、あの岩場続きの難所を目の当たりにすれば、次第に主張も勢いがなくなるというもの。明治尾頭新道…

尾頭峠上三依側の探索の4

[2009.12.10修正]上三依側から再探索、まずは気になった江戸期の遺構の残る尾根に向かう。 上三依の一里塚、石仏群を過ぎ、尾頭沢を渡る前に左手に見える尾根をつづら折りで上がっていく。 つづら折入口から尾根を見上げるの図。 そこにはかつて不動明王の…

尾頭峠上三依側の探索の2

明治尾頭新道探索後に文献を探しに行ったら「尾頭トンネル工事誌」という本があった。尾頭峠をどうぶん抜くか、いくつかのルート案まで紹介されていてとても興味深い本なのだが、その中の「尾頭トンネル工区平面図」という地図に、尾頭峠の旧道、明治尾頭新…

尾頭峠上三依側の探索の1

この記事をUPした頃は、江戸期尾頭道ルートと明治の尾頭新道ルートの関係を理解しておらず、本文は修正しましたが、コメント欄はそのままにしてありますのでご了承ください。[2009.12.01修正] 尾頭峠に向かう前に小滝の明治尾頭新道入口をちょっと下見。小滝…

再び尾頭峠

[2009.12.01修正] 尾頭峠に国道400号線 尾頭トンネルが開通して既に20年以上経つ。今ではトンネルを抜けて数分で通過する尾頭峠であるが、平成になるまで急峻な地形で道幅も狭く交通の難所として知られていた。尾頭峠越えの道は、鎌倉時代の安貞元年(1227)…

南方鰻坂

テンネンブツを確認後、自分なりに木佐美側に抜けてみてから、いろいろと情報を頂いたMさんに挨拶に行ったところ、Mさんが南方鰻坂を案内してくれることになった。今までの記事はあくまで俺の憶測も含めたものであったので、正式なルートとして上げておくこ…

テンネンブツ

鰻峠再訪。尾根上の東電の巡視路沿いに進んだところに祠を発見。これこそ峠の安全を祈るために奉納された遺物?でも、ちょっとだけコースとは外れたピークにあるのだ。ピークのコブの上に人工的に盛られた塚があり、上が窪みになっていて、その中央にこの祠…