がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

旧道・古道

秋の板室本村2022

秋の会津中街道板室本村、白湯山一の木戸へ久々の訪問。板室湯本道標碑[正面] 右会津街道 三斗小屋江三里八丁 [左] 左ゆもと道従是二十八丁 [右] 天保七丙申年六月大吉日建 肥後大熊書(その他佐野屋、伊勢屋、江戸屋 和泉屋、大黒屋、小松屋、一井屋など世…

蛇尾川の洗い越しと渡渉点

那須野ヶ原は那須連山から流れる河川が作り出した複合扇状地である。その中央部に流れる蛇尾川(さびがわ、じゃびがわ)と熊川(くまがわ)の中流部は水無川で、水流は地中を流れている伏流水となっている。下流に向かうにつれ、堆積物が大きい石から細かい…

会津中街道 奥州駒返坂と下野駒返坂

会津中街道中絵巻 部分 garitune.hatenablog.jp 会津中街道 観音沼から2.5キロほどアスファルト舗装された林道を行くと、「奥州駒返し坂」の説明板が設置されている。北側の斜面を上がっていくと元禄8年に建てられた「奥州駒返坂の碑」がある。 奥州駒返坂…

御判石を観に行く その2

その1から続く さて肝心の御判石(ごはんいし)だが、先ほどからちらちらと写り込んでいるのにお気づきだろうか。 男鹿川の水量が増えて、先端だけが水面から顔を出している。 橋脚脇の川岸から。右が御判石で左が万歳橋の橋脚に使われた石だ。記事の写真を…

御判石を観に行く その1

1月8日下野新聞に五十里ダム湖底の歴史的遺構の記事が掲載されてから しばらく休みが合わず、やっと1月20日になって現地を訪れることが出来た。あれから降雪なく良い天気が続いたので、安全に現地に辿り着くことが出来た。しかしその天気の良さが裏目に出る…

歴史的遺構、五十里ダム湖底から出現

下野新聞の1面に五十里ダム海尻橋附近の遺構についての記事が掲載された。 下野新聞2018/01/08の記事から 歴史的遺構、湖底から出現 17年ぶり五十里ダム(日光)抜水 街道跡や境界の巨石 取水設備の改修工事に伴う日光市川治温泉川治の五十里ダムの抜水作業…

笹野曽里の街道跡の現状

「天空の古道 会津中街道山歩き旅2017」の参加者の方から、笹野曽里の一里塚附近の街道跡の状況を伺って、気になったので確認してきた。 畑脇の雑木林が拓かれ太陽光パネルが設置されている。東塚のある雑木林まで伐採されてはいない。そういえば板室本村の…

天空の古道 会津中街道山歩き旅2017

昨年に引き続き、会津中街道交流実行委員会主催の「天空の古道 会津中街道山歩き旅」に参加してきました。月初めにかなり激しいギックリ腰に見舞われ参加が危ぶまれましたが、不安を抱えつつもなんとか完歩することが出来た。今回は会津側集合組と栃木板室温…

関谷山下の白湯山碑

garitune.hatenablog.jp 関谷の大田原道(関谷道)を関谷小学校の脇から県道30号に出てくると、関谷上町交差点のT字路と多少のクランクになっている。関谷上町交差点から愛宕山のつづら折に向かう旧道は1884年(M17)三島通庸が拓いた塩原新道。それ以前…

天空の古道~会津中街道を行く~2016

会津中街道交流実行委員会主催の「体験観光トレッキング 天空の古道 会津中街道を行く」に参加してきました。 コースは大峠林道駐車場から大峠~三斗小屋宿跡~麦飯坂~沼ッ原駐車場の予定でしたが、台風直後により湯川の水量が多く、渡渉が困難だったため深…

宇田島の供養塔道標

室野井の馬頭観音をみてから宇田島へ。那珂川左岸の酪農家が何軒か連なるエリアだ。道路の感じは圃場整備されてしまっていて旧道の雰囲気はない。 集落を過ぎたあたりに六手の金剛青面の庚申塔があったが目的の道標が見つからない。もう一度引き返すと集落の…

細竹の六字名号塔道標

那珂川右岸を鳥の目から小結を通って細竹へ。 細竹の六字名号塔道標 37°02'29.4"N 139°58'35.79"E角柱 寛政8年(1796)56×24×21㎝ [正面]南無阿彌陀佛 [右]右 もむらなか やつぼ 日光 [左]左 大た王ら寛政八丙辰年七月 三差路の道標。もともとは道を挟んで…

室野井の馬頭観世音道標

室野井の馬頭観世音道標 37.044259, 139.985274 自然石 文字塔 安永7年(1778)170×45×40㎝安永七玄[黒戈]星 右 奈す 閹茂梵字(カン)馬頭觀世音 十一月吉祥日 左 板室 室野井道二叉路の土手の上に立つ馬頭観音。その他に大小の馬頭観音が祀られている。震…

箭坪の庚申供養塔

先日Puuさんに情報を頂いた箭坪の庚申塔を観てきた。場所は戸田の分譲地の奥の林の中。こんな場所の塔碑を見つけるなんて、どんな情報網をお持ちなのだPuuさん・・。 箭坪の庚申塔 天明6年(1786) 柱状平 57×27×27cm 37.004280, 139.958642 [正面](月日)庚申…

県博物館企画展「江戸とつながる川の道」

栃木県立博物館で企画展「江戸とつながる川の道―近世下野の水運―」を観てきた。 ちょうど大田原市羽田小学校のキッズたちが見学に来てていっしょに楽しく見学した。展示は撮影禁止なのでロビーの高瀬船。 栃木の水路、プロパで買えるとは思わなんだ 1979年の…

近世以前の土木・産業遺産

俺も情報協力した岡山大学馬場俊介先生の「近世以前の土木・産業遺産」の報告書を献本いただいた。ありがとうございます!あとでじっくり読もうっと。 近世以前の土木・産業遺産

旧新湯道

塩原温泉から上の原を通り新湯に抜ける道、「旧新湯道」は、日塩道路(もみじライン)が出来る以前、新湯と塩原温泉をつなぐメインルートだった。人幅しかなかったこの道を幅員5mの道路に拡幅し、市道旧新湯線として平成22年に完成。かつて塙坂十八曲と呼…

にごり酒温泉で湯治

塩原温泉から上の原を通り新湯に抜ける道、「旧新湯道」は、日塩道路(もみじライン、基となる道は昭和13年(1938)に開通)が出来る以前、新湯と塩原温泉をつなぐメインルートだった。人幅しかなかった道を幅員5mの道路に拡幅し、市道旧新湯線として平成2…

日光市歴史民俗資料館企画展「会津西街道の旧道をたどる」

旧今市市内にある日光市歴史民俗資料館の企画展「会津西街道の旧道をたどる」を見てきた。今市図書館に隣接する施設だ。古地図や絵巻の展示もあるのだが、今回の企画展は「たどる」の名のとおり地形図に旧道のルートを引き、街道筋の史跡や見どころをポイン…

弥陀ヶ原@茶臼岳

なんやかんやで辿り着けなかった茶臼岳南斜面の弥陀ヶ原を観て来た。 弥陀ヶ原は、那須岳周辺を霊場とする高湯山信仰の拝所のひとつ。那須湯本温泉神社を入口とする高湯山側の拝所で、ヨシヤジから一の城戸の不動岩を経て、茶臼岳南東側の尾根上の平地、弥陀…

郡山の夜、はしご呑み

国道4号線の東側に平行してはしる県道355号線(本町通り、中央通り、大町通り)がかつての奥州街道(仙台道)の道筋だ。郡山宿は安積国造神社参道をはさんで上町と下町に分かれた宿場で10町の長さがあった。道筋は明治期にそのまま陸羽街道になったので枡形…

朝日屋食堂と御嶽山道

今日の昼メシはさつきか菊乃食堂にでもと思っていたが両方ともお休み。道路拡幅で新築されてからはじめてあさひやにやってきた。あんかけ丼?ホルモン定?迷う。まあここはひとつ レバー炒定食 730円来週の献血解禁に備えて造血造血。 最近出会うレバニラは…

嶽山箒根神社参道の下見

県道30号矢板那須線沿い宇都野にある「嶽山箒根神社参道」の大きな塔碑。「大正七年二月十七日建設」とある。バス停名も「嶽山入口」。この塔がある以上、ここが正式な参道入口なのだろう。 宇都野若林にある道標。右たけさん で、道なりにまっすぐ進むと、…

御茶屋峠@白河市白坂

奥州道中、白坂宿から2キロほどで、立て場の皮籠集落がある。文化年間に編まれた「白河風土記」によると、皮籠集落はその東にある「吉野宿」から移転してきたのだという。吉野(芳野)宿は、芳野遺跡として発掘調査が行われた白河南中学校付近にあったらしい…

石阿弥陀の一里塚@白河市白坂

白河市内に唯一残る一里塚、石阿弥陀の一里塚(別名 芳野の一里塚)を観に行く。場所は白河南中学校の東側、「天地人」で上杉防塁とされた鍛冶屋敷跡の土塁も近くにある。 鍛冶屋敷跡に現在住む方のお宅の敷地内に、地名の由来となった石阿弥陀の石碑を納め…

高湯山行人道 飯盛温泉跡から牛ヶ首

飯盛温泉を過ぎるとあとはひたすらにまっすぐ斜面を上がっていく。 10:53 1569m 明治42年測図 5万分1地形図「那須嶽」(初刷)よりこの古地図に載っている登山道と、現在の高雄口登山道の位置関係を把握するために、検証を行う。この頃は不動岩、弥陀ヶ原…

高湯山行人道 ヨシヤジから膳棚

ネビルさんから弥陀ヶ原の場所の情報を頂いた。紅葉の混雑前に行くつもりが、大混雑の真っ只中に来ることになろうとは。今日は強風でロープウェイは運休しているはずなので、ヨシヤジから高湯山行人道の続きを歩いてみる。 ボルケーノウェイの休暇村那須脇の…

やいたの歴史街道展

矢板市立郷土資料館の企画展「やいたの歴史街道展」を観に行く。H13から市教育委員会が調査していた矢板市内の古道調査の報告を兼ねた展示会である。 もちろん報告書「矢板市の古道」は即ゲット。内容が素晴らしい。地形図におとしたルート図も掲載されてお…

野際新田でお手伝い

会津中街道(松川街道)交流会のイベントで野際新田の古民家の片付けをお手伝いする。 会津中街道絵図より沼尻峠の坂を下ると、野際の一里塚があり、再び坂を上がると野際新宿だ。野際新田宿は、会津中街道が整備された元禄8年、宿駅として新たに作られた集…

長岡道と長岡百穴古墳

宇都宮環状道路が開通していなかった頃の話。宇都宮日赤にじいちゃんを見舞いに行くのに、穴ぼこのいっぱい開いた崖の脇を通る細道を通った記憶がある。穴ぼこというのは、宮環沿いからも見える長岡百穴(ながおかひゃくあな)古墳のことだ。今にして思えば…