がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

旧道・古道

宇田島の供養塔道標

室野井の馬頭観音をみてから宇田島へ。那珂川左岸の酪農家が何軒か連なるエリアだ。道路の感じは圃場整備されてしまっていて旧道の雰囲気はない。 集落を過ぎたあたりに六手の金剛青面の庚申塔があったが目的の道標が見つからない。もう一度引き返すと集落の…

細竹の六字名号塔道標

那珂川右岸を鳥の目から小結を通って細竹へ。 細竹の六字名号塔道標 37°02'29.4"N 139°58'35.79"E角柱 寛政8年(1796)56×24×21㎝ [正面]南無阿彌陀佛 [右]右 もむらなか やつぼ 日光 [左]左 大た王ら寛政八丙辰年七月 三差路の道標。もともとは道を挟んで…

室野井の馬頭観世音道標

室野井の馬頭観世音道標 37.044259, 139.985274 自然石 文字塔 安永7年(1778)170×45×40㎝安永七玄[黒戈]星 右 奈す 閹茂梵字(カン)馬頭觀世音 十一月吉祥日 左 板室 室野井道二叉路の土手の上に立つ馬頭観音。その他に大小の馬頭観音が祀られている。震…

箭坪の庚申供養塔

先日Puuさんに情報を頂いた箭坪の庚申塔を観てきた。場所は戸田の分譲地の奥の林の中。こんな場所の塔碑を見つけるなんて、どんな情報網をお持ちなのだPuuさん・・。 箭坪の庚申塔 天明6年(1786) 柱状平 57×27×27cm 37.004280, 139.958642 [正面](月日)庚申…

県博物館企画展「江戸とつながる川の道」

栃木県立博物館で企画展「江戸とつながる川の道―近世下野の水運―」を観てきた。 ちょうど大田原市羽田小学校のキッズたちが見学に来てていっしょに楽しく見学した。展示は撮影禁止なのでロビーの高瀬船。 栃木の水路、プロパで買えるとは思わなんだ 1979年の…

近世以前の土木・産業遺産

俺も情報協力した岡山大学馬場俊介先生の「近世以前の土木・産業遺産」の報告書を献本いただいた。ありがとうございます!あとでじっくり読もうっと。 近世以前の土木・産業遺産

にごり酒温泉で湯治

塩原温泉から上の原を通り新湯に抜ける道、「旧新湯道」は、日塩道路(もみじライン、基となる道は昭和13年(1938)に開通)が出来る以前、新湯と塩原温泉をつなぐメインルートだった。人幅しかなかった道を幅員5mの道路に拡幅し、市道旧新湯線として平成2…

日光市歴史民俗資料館企画展「会津西街道の旧道をたどる」

旧今市市内にある日光市歴史民俗資料館の企画展「会津西街道の旧道をたどる」を見てきた。今市図書館に隣接する施設だ。古地図や絵巻の展示もあるのだが、今回の企画展は「たどる」の名のとおり地形図に旧道のルートを引き、街道筋の史跡や見どころをポイン…

弥陀ヶ原@茶臼岳

なんやかんやで辿り着けなかった茶臼岳南斜面の弥陀ヶ原を観て来た。 弥陀ヶ原は、那須岳周辺を霊場とする高湯山信仰の拝所のひとつ。那須湯本温泉神社を入口とする高湯山側の拝所で、ヨシヤジから一の城戸の不動岩を経て、茶臼岳南東側の尾根上の平地、弥陀…

郡山の夜、はしご呑み

国道4号線の東側に平行してはしる県道355号線(本町通り、中央通り、大町通り)がかつての奥州街道(仙台道)の道筋だ。郡山宿は安積国造神社参道をはさんで上町と下町に分かれた宿場で10町の長さがあった。道筋は明治期にそのまま陸羽街道になったので枡形…

朝日屋食堂と御嶽山道

今日の昼メシはさつきか菊乃食堂にでもと思っていたが両方ともお休み。道路拡幅で新築されてからはじめてあさひやにやってきた。あんかけ丼?ホルモン定?迷う。まあここはひとつ レバー炒定食 730円来週の献血解禁に備えて造血造血。 最近出会うレバニラは…

嶽山箒根神社参道の下見

県道30号矢板那須線沿い宇都野にある「嶽山箒根神社参道」の大きな塔碑。「大正七年二月十七日建設」とある。バス停名も「嶽山入口」。この塔がある以上、ここが正式な参道入口なのだろう。 宇都野若林にある道標。右たけさん で、道なりにまっすぐ進むと、…

御茶屋峠@白河市白坂

奥州道中、白坂宿から2キロほどで、立て場の皮籠集落がある。文化年間に編まれた「白河風土記」によると、皮籠集落はその東にある「吉野宿」から移転してきたのだという。吉野(芳野)宿は、芳野遺跡として発掘調査が行われた白河南中学校付近にあったらしい…

石阿弥陀の一里塚@白河市白坂

白河市内に唯一残る一里塚、石阿弥陀の一里塚(別名 芳野の一里塚)を観に行く。場所は白河南中学校の東側、「天地人」で上杉防塁とされた鍛冶屋敷跡の土塁も近くにある。 鍛冶屋敷跡に現在住む方のお宅の敷地内に、地名の由来となった石阿弥陀の石碑を納め…

高湯山行人道 飯盛温泉跡から牛ヶ首

飯盛温泉を過ぎるとあとはひたすらにまっすぐ斜面を上がっていく。 10:53 1569m 明治42年測図 5万分1地形図「那須嶽」(初刷)よりこの古地図に載っている登山道と、現在の高雄口登山道の位置関係を把握するために、検証を行う。この頃は不動岩、弥陀ヶ原…

高湯山行人道 ヨシヤジから膳棚

ネビルさんから弥陀ヶ原の場所の情報を頂いた。紅葉の混雑前に行くつもりが、大混雑の真っ只中に来ることになろうとは。今日は強風でロープウェイは運休しているはずなので、ヨシヤジから高湯山行人道の続きを歩いてみる。 ボルケーノウェイの休暇村那須脇の…

やいたの歴史街道展

矢板市立郷土資料館の企画展「やいたの歴史街道展」を観に行く。H13から市教育委員会が調査していた矢板市内の古道調査の報告を兼ねた展示会である。 もちろん報告書「矢板市の古道」は即ゲット。内容が素晴らしい。地形図におとしたルート図も掲載されてお…

野際新田でお手伝い

会津中街道(松川街道)交流会のイベントで野際新田の古民家の片付けをお手伝いする。 会津中街道絵図より沼尻峠の坂を下ると、野際の一里塚があり、再び坂を上がると野際新宿だ。野際新田宿は、会津中街道が整備された元禄8年、宿駅として新たに作られた集…

長岡道と長岡百穴古墳

宇都宮環状道路が開通していなかった頃の話。宇都宮日赤にじいちゃんを見舞いに行くのに、穴ぼこのいっぱい開いた崖の脇を通る細道を通った記憶がある。穴ぼこというのは、宮環沿いからも見える長岡百穴(ながおかひゃくあな)古墳のことだ。今にして思えば…

会津若松側が基点でなく?

喜多方市のおもはん社のHP、佐藤健郎氏の「地名の中の歴史」のページより『会津藩家世会津藩家世実紀』によると、会津藩では、寛文七年(一六六七)四月一日より、一里三十六町の制を実施し、領内の主要街道に一里塚を築いてい る。またこの時、白河街道と越…

つちや食堂@黒羽向町

風もなく冬晴れのお出かけ日和。黒羽に道標を観に行く。 黒羽図書館に行く前に旧黒羽道を散策。明治43年の道路改修完成以前は、この細い路地が黒羽街道だった!?大豆田の急坂下のドン突きは那珂川の段丘で、坂道を止まりきれなかった牛馬が落ちることがあっ…

晩秋の旧三斗小屋宿

ハクセキさんと晩秋の旧三斗小屋宿に行く。宿跡に着くまでは風が強く、枯葉の吹きだまりが出来ていた。寒い寒いよ会津の風は、野際峠を越すからに、馬追い唄が口に出る。最近降雪があったようで、地面には白いものが。 旧三斗小屋宿からの雪化粧した茶臼岳。…

野際の一里塚の現状

甲子道路沿いの道の駅しもごうにある案内地図には、下野街道(会津西街道)の表示はあったが、松川街道は表示されていない。松川街道跡の整備に前向きな下郷町だが、史跡としての観光客へのアピールは今後の課題か。 野際新田の観音沼の近くに会津中街道(松…

綱子の道標と白川道

県道那須西郷線沿い、那須町最北端の集落、綱子にある道標。 綱子の道標30×122×28cm 安政三3年(1856)[正面]右なす能ゆ[左]左 於ぎのく保[裏面]安政三丙辰年三月建[右] 味噌屋 升 屋白 大坂屋 柾木屋 藤 屋川 松川屋 藤 屋 益屋 など白河の商家や那須湯本の…

企画展「近代鉄道事情-那須野が原に汽笛が響く-」@那須野が原博物館

那須野が原博物館の企画展「近代鉄道事情-那須野が原に汽笛が響く-」を観てきた。 今回の企画展、気合い入ってンなぁ。鉄道関係はファンも多いし遠くからも集客できそうだもんね。鉄道の歴史は正直それほど興味がないんだけれど、当時の県内地図や鳥瞰図、…

老松温泉喜楽旅館@那須湯本

教傳道標から東(とう)公園跡を通って、つづら折を降りると、そこは白河米付け道の終着点、那須湯本だ。湯川を渡る「おさん橋」の手前に「老松温泉喜楽旅館」がある。ネット上では那須湯本の鄙(ひな)び系温泉としてつとに有名。開業はネット上の情報では6…

さつき食堂@高久丙大沢

那須道沿いを散策していて大沢まで来た。せっかくなので「ひやりの天稲荷」に寄ってみる。 大沢はもともと火鎗(ひやり)村といい、弘化4年(1847)に大沢村に改名された。「天稲荷神社」はかつて、たずねごとが良く当たるとして多くの参拝者で賑わった。社…

白河道/那須道

昨年秋に部分的に調べて、ほっぽってあった白河道/那須道(湯道)のルートを本格的に歩いてみようと思う。 綱子~荻久保~北沢~大沢(ひやり)~大深掘温泉(ぬく湯)~御料地内~教傳道標~東公園跡~那須湯本というルートは文献であたりがついている。主…

三斗小屋温泉 大黒屋本館

会津中街道交流会の第2回シンポジウムで三斗小屋温泉に宿泊した。中学生の野外学習以来、30年ぶりの訪問だ。 三斗小屋温泉は、康治元年(1142)、奥州信夫郡信夫村の生島某という人物の夢枕に「大黒天」が立ち、そのお告げにより発見したという。長らく黒羽…

高阿津金沢橋

前から気になっていた高阿津金沢橋がいつの間にか開通していた。 旧高阿津道大田原坂より400m程上流、県道30号側はちょうど要金寺前あたり。 何故金沢-高阿津の位置に?雲入-石上の辺りに掛けた方が利用頻度は高いような気がするけど。老朽化した宇都野橋…

高湯山行人道 湯本温泉神社からヨシヤジまで

湯本温泉神社の本殿脇の参詣路入口から高雄温泉、平石、ヨシヤジ(与五右衛門)までを辿ってみる。 境内にある見立神社の前に明治20年の高湯山神社の灯籠と、那須嶽神社の石碑が並んでいる。なぜここに高湯山信仰の石碑があるかというと、この右手が高湯山の参…

一里塚の基点の件

五街道の一里塚は、江戸日本橋を基点にしている。慶長9年2月、江戸幕府による「将軍家被仰出 諸海道ニ一里塚つき可申」旨の指令により道中奉行を通じて諸国の大名に伝達され築かれた。では、五街道以外の脇街道はどうだったのか。会津と阿久津河岸を結ぶ街道…

「会津中街道絵図」を読み解く

6月5日、会津中街道絵図見学会及び第1回シンポジウムに参加、栃木県博物館所蔵の「会津中街道絵図」を間近に観る機会を得た。栃木側、会津側の会津中街道のエキスパートの方々が勢揃いした。「会津中街道絵図」について絵図の中にはタイトル、作者名、作成年…

山開きに三斗小屋宿跡へ

茶臼岳を下りたあと、震災から塔碑の被害がずっと気になっていた三斗小屋宿跡に行ってみた。那須嶽山開きのこの日こそ、三斗小屋口白湯山を訪れるべきだろう。茶臼岳を降りると風が強くて(風速18m、もう少しでロープウェイが止まるところだった)小雨まで…

「奥州記行」で辿る日光北街道

「奥州記行」という紀行文がある。江戸の住人、富田伊之(これゆき)が安永6年(1769)、みちのくの歌枕の名蹟を訪ねた旅の記録である。富田伊之の詳細は不明だが、おそらくは裕福な町人の隠居であろうか、風雅を好む知識人であろう。当時、俳句、川柳、狂歌…

夫婦石坂@芦野

黒川集落対岸の夫婦石坂(仮称)のある斜面の樹木が伐採されている、というPUUさんからの情報で、奥州道中の黒川集落にやってきた。 以前の丘陵の状態現在の県道は、黒川を渡河し夫婦石の丘陵を巻くように造られているが、かつての奥州道中はこの丘陵をつづ…

泉光院、那須野を彷徨う

「日本九峰修行日記」で泉光院野田成亮が辿った道のりをちょっと紹介。会津若松から那須野に入るあたりの日記。文化13年のリアル。 廿八日 晴天。荒井村立、辰の上刻。即時会津城下へ出づ、御城平地、角楼三つ天守の如く見ゆ、追手東向、廓広し、町東北にあ…

松の木@高久丙大沢

大深掘で出会ったおばあさんは地元ッ子らしく、大沢から東公園に上がり、那須湯元に下りる「湯道(那須道)」についてもスルっと教えてくれた。前述の大深堀集落脇の道は湯道ではないことが判明。大沢の十字路から八幡温泉に上がる県道344号を上がり、「松の…

「日本九峰修行日記」泉光院野田成亮

以前、宮本常一が本の中で、泉光院という山伏が大田原の金丸に滞在した時のことを語っているのを読んだことがあった。たまたま子供の付き添いで図書館に行ったとき、その本を偶然見つけ泉光院の紀行文の詳細が知りたくなった。蔵書検索で調べていたら、解説…

尾頭峠小滝側 師に助言を給う

ユウレイソウ 6月上旬今尾頭道(会津西街道塩原通り)の明治の新道との出合いから先の道跡が見つけられない。前回見つけた新道から分岐する道跡を下ってみたのだが、つづら折の先は新道の2段目を跨いで小さな枝尾根に降り、その先は消失していた。ビジターセ…

尾頭峠小滝側の探索の3

その2へ尾頭山の南東側斜面は、江戸期の今尾頭道と明治尾頭新道のつづら折りが複雑に交差している。前回、谷筋を上がる今尾頭道から明治尾頭新道に出たものの、今尾頭道の続きの道をみつけることができなかった。この尾頭山の南東側斜面に存在する道跡を丹…

尾頭峠小滝側の探索の2

(4月と5月の撮影時期が異なるものが混在しますがご容赦) 中道沢入口から右岸側をずっと遡ってくると、小さな沢と二俣になっている所から100m程で、沢がナメになっている場所がある。ここで左岸(中間尾根側)に渡りちょっと進むと、振り返り気味に取り付き…

尾頭峠小滝側の探索の1

尾頭峠(標高1142m)は、那須地方と会津地方の文化圈を隔てる境となる峠だ。以前から興味があって、昨年は、三依側の明治尾頭新道と、尾頭沢を遡り九十九折の坂を上がる中世・江戸期の道を辿ってみた。今年は小滝側からの尾頭峠への道を探索しようと思い立っ…

赤田の一里塚

会津中街道、赤田(松方)の一里塚が現存する!? 赤田調整池建設の際、あるいは農場整備の際に整地されてしまったと誰もが思いこんでいた一里塚が現存している可能性があるという。場所は赤田調整池と酪農試験場の境、那須野ヶ原公園正門から調整池南端にあ…

倉掛峠の探索

日光北街道の玉生と倉掛の間に倉掛峠がある。現在R461となっている道の基は明治21年に開通したもので、倉掛三険と呼ばれた戸方坂、日光坂、外出坂を避けるように作られてる。日光坂と外出坂の間のピークが倉掛峠だ。 峠にある倉掛新路記の碑によると、この一…

鹿野崎の出釜跡

PUUさんに教えて頂いた鹿野崎の出釜跡に行ってきた。波立道は高林街道と交差して塩野崎で弥六道と合流する。戊辰役、板室の戦いの前哨戦である塩野崎の戦いのあった薬王寺、峰薬師の脇を通って鹿野崎に至る。この道は板戸河岸の坂本家の古文書に出てくる新道…

那須街道赤松林

道路の雪が消えるのを待って、那須町高久甲に行ってきた。高久本郷付近の未確認の道標を見に来たのだが、情報不足で見つけることができなかった。 ついでに、新高久の那須街道沿いの赤松林に残る那須道(湯道・湯本道)を見に行った。 那須街道の両側に広が…

乙連沢五町歩の堀割

PUUさんに紹介頂いた乙連沢の堀割を観に行ってきた。六町歩と呼ばれるこの辺りは、細長い窪地となっており、かつては沢であった形跡がある。この窪地は南東に向かい、乙連沢(おとれざわ)に合流する。この付近には湧水が点在し、それに沿うように集落が散ら…

沢観音寺裏の湯坂の探索

地図に載ってない「坂」の名前を収集しようと、最近いろいろと調べている。 大田原春雄氏の名著「那須野の地名」をパラパラと見ていたら、平沢の地名に「湯坂下」という場所があり、その説明文に興味を持った。 沢観音寺から箒川筋に沿った急坂の崖にあり、…

小休戸集落

今市から栗山を結ぶ大笹峠越えの道は、今でこそひっそりと静まりかえった山奥の林道であるが、昭和初期のころまで人や馬による物資の運搬が盛んに行われていた。栗山青柳からさらに桧枝岐、会津に抜ける裏道としての利用もあった。 「栗山街道」と呼ばれるこ…