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がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

旧跡・史跡

磯上の山桜2016

毎年父と桜めぐりに行っていたのだが、ここ数年ご無沙汰だった。たまたま休みで父に声をかけたら乗ってきたので出掛けることにした。烏ヶ森や乃木神社のソメイヨシノも早々と盛りを迎え、山際ならまだ見頃かもと両郷方面へ。まだ早いかなと思ったが磯上の山…

本宮宿南 追分の道標@本宮市

奥州街道沿い本宮宿南町の追分 劇場から数十m隔てて旧奥州街道が通る かつて本宮宿は奥州街道と会津道、三春道 相馬道が交差する交通の要衝で この付近では屈指の賑わいを見せた 飯盛女もかなりの数がいて遊廓も存在した 鉄道の機関区設置を郡山に譲ったた…

佐貫観音奥之院御開帳の儀 その2

奥の院には藤原富正の御念持佛や佩刀、弘法大師御作の如意輪観音・馬頭観音の二尊像、中将姫の蓮の曼荼羅、八幡太郎義家・藤原秀郷奉納の太刀・武具類や古鏡などの秘宝が納められているという口承がある。 ここ佐貫観音は、第四十八代 順徳天皇の建暦元年(1…

佐貫観音奥之院ご開帳 柴燈護摩供 その2

祈願文披露 祭壇の不動明王の炎を松明に移す。 点火 護摩とは梵語で「焚く」という意味で炎は地上の全てを焼き尽くして、 けがれたもの、煩悩までも焼き尽くしてくれる。 大団扇で煽ぎさらに炎に勢いをつける。 奥之院の新しい扉を護摩檀の煙にかざし清める…

佐貫観音奥之院御開帳の儀 その1

柴燈護摩供のあと 奥の院ご開帳の準備。道場の中にクレーン車が入る。平成の奥の院へのアプローチは地上からクレーンで。 来賓テント席にはモニターを設置。地上からのカメラと副住職のウェブカメラをスイッチング。奥の院の中の様子もこのモニタでリアルタ…

佐貫観音奥之院ご開帳 柴燈護摩供 その1

佐貫観音の磨崖仏の前での柴燈護摩供。この光景をずっと待ち望んでいた!グッド・ロケーション!!きっとこの大日如来の磨崖仏の開眼式の際もこんな儀式が行われていたに違いないl 新観音橋の渡り初めの列は山伏を先頭にお稚児さん僧侶の方々檀家さんと続く…

佐貫観音奥之院ご開帳当日

佐貫観音奥之院ご開帳当日。朝8時過ぎには現地に到着。 祭壇に供えられているご宝物を見せて頂く。中央がかつて佐貫大悲窟に納められた阿弥陀曼荼羅。左右は今回のご開帳で納めるという金と銀の仏像。もうひとつの宝物である和鏡は展示されていなかった。 佐…

佐貫観音奥之院ご開帳の下見

3月15日に執り行われる佐貫観音奥の院のご開帳を前に現地を訪問してきた。 鬼怒川左岸の佐貫字岩戸に国指定史跡の磨崖仏、佐貫石仏がある。「佐貫の観音様」として親しまれている佐貫石仏は平安時代末期の作とされ、観音岩の崖面に八葉の蓮弁の台座に乗る…

突然の遺跡見学会@湯津上

湯津上の岩舟台遺跡、R294拡幅に伴う遺跡調査 たまたま通りかかったらやってたので見学させてもろた pic.twitter.com/WOJ1aQBGjV— がりつう (@garitune) October 20, 2014 縄文中期の土器、円墳、複数の墓跡(木炭化した木の蓋、長剣など)住居跡と思われる…

鬼怒川ライン下りを体験

ゆう~べ鬼怒川今夜は川~治、そんなラジオコマーシャルが昔あったけど、鬼怒川・川治エリアはあまり観光に行ったことがなかった。 昔から傷は川治、やけどは滝(鬼怒川温泉)と言われ湯治場だったが、鉄道が開通し戦前に温泉旅館街として発展した。最盛期と…

日光市歴史民俗資料館企画展「会津西街道の旧道をたどる」

旧今市市内にある日光市歴史民俗資料館の企画展「会津西街道の旧道をたどる」を見てきた。今市図書館に隣接する施設だ。古地図や絵巻の展示もあるのだが、今回の企画展は「たどる」の名のとおり地形図に旧道のルートを引き、街道筋の史跡や見どころをポイン…

正福寺の柴燈大護摩供火渡り祭@伊王野

伊王野の補陀洛山正福寺の柴燈護摩供火渡り祭に行ってきた。事前に開始時間を確認していたんだけど、いつものクセで黒刑通りを通ったら大渋滞、矯正展の日だった。なんとか開式に間に合った。 伊王野小の渡り廊下が交差する参道 正福寺は伊王野にある真言宗…

弥陀ヶ原@茶臼岳

なんやかんやで辿り着けなかった茶臼岳南斜面の弥陀ヶ原を観て来た。 弥陀ヶ原は、那須岳周辺を霊場とする高湯山信仰の拝所のひとつ。那須湯本温泉神社を入口とする高湯山側の拝所で、ヨシヤジから一の城戸の不動岩を経て、茶臼岳南東側の尾根上の平地、弥陀…

新町のケヤキ、伐採に

宇都宮市新町の大ケヤキが切られると聞いて観に来た。宇都宮宿南側入口不動前の先、新町にある名木だ。推定樹齢800年、樹高43m、根通約8mもあり1988年12月に栃木県天然記念物に指定された。かつてはケヤキは3本あり、2本を戦時中に供出し、一番大きなこの木…

那須観光やな@松子

那珂川最上流のやな「那須観光やな」に行って来た。那珂川源流から25キロ地点。那須街道沿い「そば処やしお」の脇を入る。那須国際射撃場が隣にある。山際の砂利道を降りて段丘下に下りる。 施設は新しい。最近出来たものだろうか。リーフレットに「烏石(か…

金山採掘跡の探索@野際新田

幕末から明治初期にかけて、財政難から二分金を中心とした貨幣が大量に偽造された。外国から武器を購入する戦費調達のため、奥羽越列藩同盟の諸藩が、続いて薩摩・土佐などの官軍諸藩も贋貨を鋳造し始める。二分金は対外決済の際に最もよく使われていたため…

桜見2013 小峰城から鶴ヶ城へ

休み、父母を連れて桜前線を追い掛ける。まずは白河へ。 南湖公園の桜を観てから小峰城址へ。満開になりたて!といった感じ。 図書館の窓から遠めで何度か眺めていたが、近くで状況を見るのは初めて。 震災被害の復旧の様子。 作業は当分かかりそう。 移動中…

塩原袖ヶ澤温泉にようこそ

辻潤が宿泊した塩原萬人風呂霞上館のことを調べはじめてしばらく経つが、当時の宿泊のしおり「塩原袖ヶ澤温泉案内」を入手したので、その内容を元に萬人風呂の詳細を紹介していく。 萬人風呂霞上館があった谷地の沢を袖ヶ沢というので、当時は「袖ヶ澤温泉」…

野際新田でお手伝い

会津中街道(松川街道)交流会のイベントで野際新田の古民家の片付けをお手伝いする。 会津中街道絵図より沼尻峠の坂を下ると、野際の一里塚があり、再び坂を上がると野際新宿だ。野際新田宿は、会津中街道が整備された元禄8年、宿駅として新たに作られた集…

長岡道と長岡百穴古墳

宇都宮環状道路が開通していなかった頃の話。宇都宮日赤にじいちゃんを見舞いに行くのに、穴ぼこのいっぱい開いた崖の脇を通る細道を通った記憶がある。穴ぼこというのは、宮環沿いからも見える長岡百穴(ながおかひゃくあな)古墳のことだ。今にして思えば…

長野遊廓(鶴賀新地)@長野市

友人の結婚式で 長野市に行く。長野市といえば善光寺。善光寺参りの精進落としで栄えた門前町、権堂と鶴賀新地の名残りを観てきた。善光寺は寄らなかったけど。 大門跡付近北国街道、善光寺の表参道沿いに位置する権堂村は、江戸中期より水茶屋や揚屋などが…

大黒岩化石床@金沢

那須塩原市金沢の箒川渓谷にある大黒岩に行ってきた。場所は堰場橋の2キロほど上流。右岸に沿っている塩原ダム工事用道路を行く。 トンネルを出たところ、崖沿いのガードレールに「大黒岩」の表示板がある。大黒岩とは、箒川に突き出す巨大な岩なのだが、こ…

龍頭の瀧@奥日光

奥日光三大名瀑の一つ、龍頭の瀧に紅葉を観に行った。9時には地獄茶屋に着いたのだが、茶屋駐車場には入れず。湯川上流の駐車場から渓谷沿いに茶屋へ降りることに。 日曜の、しかも紅葉全開時期に奥日光に来るなんて狂気の沙汰だと思ったが、思い切って出掛…

姥ヶ平と両部の滝の紅葉

会津中街道交流会の第2回シンポジウムで御宝前の湯と両部の滝を再訪。まずは姥ヶ平に寄ることに。 三連休で天気は一番良かったのでは? 昼近かったのだが、ものすごい人だった。 ひようたん池への木道の取り替え工事に入っていた。工事と言えば、沼ッ原へ向…

シズノ平@三斗小屋

夏の三斗小屋宿跡。灯籠が見えないほどに雑草が茂ってきた。 この石組み、水場だったんだ。ゴミを燃やす炉かなにかと。よく見ると止水栓が隣にあった。 白湯山大鳥居への通路もこんな感じ。今回は苦土川を渡り、崖を上り下りするので、林道ゲートからスパイ…

金丸原飛行場跡

ちょっと前の地図を見ると、金丸原飛行場跡の丘陵を走る細道に「黒羽街道」という名前が書かれていた。実際には丘陵を避けるように新黒羽街道国道461号が通っており、かつてはこの細道が主要な道であったことがわかる。国際医療福祉大学(1995開学)が出来る…

田の中の五輪塔@東岩崎

伊王野から東岩崎集落へ奈良川精進橋を渡る手前、田の畦に小さな五輪塔がある。この五輪塔には悲しい言い伝えがある。いつの時代のことか、口減らしのためにもらわれた子供が、重労働のあげく亡くなってしまい、気の毒に思った里の人たちが供養の為に建立し…

城主安全碑@波立

波立にある温泉神社。波立小学校の西側にある。この境内に「城主安全碑」と呼ばれる石塔がある。昭和7年に境内を掃除していた児童達により草に埋もれた石塔が発見された。天下 享保五庚子年奉 造建脚城主御代々御安全祈所泰平 九月吉祥日温泉神社の本殿脇に…

那須官衙関連遺跡の古代道路跡@小川山崎

那須官衙遺跡の発掘調査で、古代の道路跡が見つかったという記事を見て現地に行ってみた。教育委の現地説明会が6日にあるらしい。場所は正倉跡の南東150m。ちょうど民俗資料館(小口家・永森家民家)の正面にあたる休耕田。発掘に参加した学生さん達がたまた…

那須之漬

昭和初期の写真集「那須野写真帖」を見ていたら、以前から興味があった「那須之漬」の広告が載っていた。「那須野写真帖」というのは大田原町の写真館が作製したものらしく、奥付近くに大田原町内の名物紹介みたいなコーナーがある。 昔時、九尾の狐の住みし…

亀廓@宇都宮

行こうか池上 かへろか馬場 ここが思案の都橋 江戸期から明治前期にかけて、宇都宮宿の繁華街であった池上町、伝馬町、材木町に遊廓、いわゆる女郎屋や置屋が点在していた。他にも江野町、県庁前通り付近は「紅縁街」と呼ばれ芸妓屋が多く、尾上町(現本町)…

白湯山/高湯山信仰 御宝前@那須

姥ヶ平を過ぎ登山道から逸れ、涸沢を辿って御宝前、両部の滝に向かう。「御宝前」は茶臼岳西側の山中にある温泉の湧出地だ。明治になり神仏分離以降は、三斗小屋表口白湯山側ではこの御宝前が「白湯山神社」とされたようだ。湯本口高湯山側では茶臼岳(月山…

高湯山御宝前への道

那須岳はかつて山岳信仰の山で、茶臼岳南西部の山中に湧出する温泉「御宝前(ごほうぜん)の湯」をご神体とする数箇所の拝所を備えた霊場があり、湯本口側は高湯山、三斗小屋口側は白湯山と呼ばれていた。同じ霊場に二つの名称があった実際の理由はわからな…

舟戸観光やな@烏山野上舟戸

以前から気になっていた烏山の舟戸のやなに来てみた。やなに渡る一本橋が長く、狭くて怖いという話、前に書いたような。烏山の中心部の南、那珂川が右に大きく蛇行する付近が野上で、河岸段丘を降り下野大橋のY字路を直進、橋のたもとに舟戸のやながあるはず…

鹿野崎の出釜跡

PUUさんに教えて頂いた鹿野崎の出釜跡に行ってきた。波立道は高林街道と交差して塩野崎で弥六道と合流する。戊辰役、板室の戦いの前哨戦である塩野崎の戦いのあった薬王寺、峰薬師の脇を通って鹿野崎に至る。この道は板戸河岸の坂本家の古文書に出てくる新道…

那須の漬を探そう

大正だか昭和初期に大田原の名物として一世を風靡したという「那須の漬」。どうやら福神漬けのようなものだったらしい。以前、教授と呑んだ時に建物が残ってるよ、と教えて貰ったことがあった。ずっとこの話を忘れていたのだが・・。先日、薬師通りを車で通…

金灯籠の休暇

大田原宿大手門口金灯籠の下には、大田原宿で莫大な富を蓄えた近江商人の財宝の在処が隠されているという。…んなわけない。金灯籠は道路拡幅工事のため、一時別の場所に移設され、工事終了後再びこの場所に戻されるそうだ。しばらくの間、お暇頂きます。後か…

ドンドンサ跡@高久甲瀬縫

黒田原に行く途中で寄り道。瀬縫の旧線跡。 1887年(M20)に開通した当初の東北本線は、地形に沿ったカーブと坂の多いルートだった。土木技術がそれほど発達しておらず、河川のより幅の狭い場所を渡渉するためであった。1920年(T9)、勾配を緩くした現在のル…

天狗党の碑@簗場

黒川沿いの中の川集落の川下、菖蒲沢と黒川集落の間の東岸に簗場と呼ぶ平地がある。その山岸に天狗党浮浪徒十四人の墓が南西を向いて立っている。現在は田圃となっているが、元治の頃は萱や葦の生える秣場だった。 元治元年甲子年十月十九日浮浪徒十四人墓明…

会津西街道 高原越えの探索2

会津西街道高原越えの後編。高原新田から藤原宿方面へ下るの巻。 旧宿場跡の元屋敷から宿西端の墓地跡を過ぎ、開拓地の端の柵から外に出る。柵沿いに数10m行くと「磁石石」がある。 高原新田住民が200年にわたり住み慣れたこの地を離れねばならない悔しさを…

湖畔亭ほそい@五十里堀割

鬼怒川・川治附近。紅葉はまだまだ見ごろ。道脇にちょっとだけ雪が残っている。 五十里ダムを過ぎトンネルを抜けると、山肌が白くなってきた。海尻橋を渡り東岸の旧R121へ入る。六左の墓を見てから上の屋敷へ。雪が残る高原越えの取り付きを上がり、庚申塔の…

五十里海跡

五十里湖に来た。最初は塩原側から向かおうと思ったのだが、タイヤもノーマルだし、尾頭トンネルの三依側の日陰がどんな状態か不安だったので今市側から向かった(塩原も降雪があったそうだ)。放射冷却で夜半から朝方に掛けて雪が降ったようで、山肌や路面に…

消えた接骨木谷中官有地

以前「消えた藤荷田村」というタイトルで、那須野ヶ原公園の南口近くの分譲地の石仏群を紹介したことがある。この記事の中で、俺は特に調べもせずこの石仏群を、現在競馬教養センターがある場所に存在した藤荷田村の住人が建立したものだと結論付けていた。…

室井家の四脚門@無栗屋百目木

波立の薬王寺脇を通りながら、塩野崎の戦いに思いを馳せていると、以前からどこにあるのか知りたかった「室井家の四脚門」を偶然見つけた。場所は建設中の黒磯インターチェンジのすぐ裏。天文14年(1545)大田原氏が町島の水口居館から移って大田原竜体城を…

小笠原畑@板室阿久戸

プチぎっくりをやってしまった。なんとかやり過ごして数日が経ったが、今週末のハイクで周りに迷惑かけずにちゃんと歩けるか試す意味も兼ねて那須に向かった。最初は紅葉の姥が平へ・・と思ったが、那須温泉神社に辿り着く前から渋滞が始まってしまった。我…

塩原八幡宮@中塩原

中塩原八幡町にある塩原八幡宮。現在はR400バイパスの青葉通りが全面開通してアクセスがよくなったが、ちょっと前までは日塩道路側からしか上がれなかったと思う。江戸期以前は、追沢より西側の平地は箒川が氾濫するため古町の本陣付近から斜めに上がってい…

高尾塚@下塩原塩釜

塩釜温泉のホテル明賀屋駐車場に「高尾塚」の碑がある。文化13年(1816)11月に建立されたこの碑は、正面に「高尾塚」、他の3面には江戸の儒学者「山本北山」による撰文が刻まれている。この碑は、塩原出身の二代目高尾太夫の没後150年に、その身を哀れんだ…

万人風呂と遊園橋、遊園道

青葉通り沿いの小太郎ヶ淵入り口前から箒川の渓谷に下りていくつづら折の道がある。専売公社(JT)の塩原寮が途中にあるこの道が「遊園道」だ。 これは90年代の住宅地図に着色したもの。オレンジが青葉通り予定線、黄色が万人風呂に向かう道路として開削…

万人風呂 霞上館跡の2

当時塩原は、華族・皇族らセレブが別荘を構え、文士や芸術家、実業家がこぞって訪れるリゾート地であった。「万人風呂 霞上館」は大正の末にオープンした温泉施設で、箒川流域に点在する塩原七湯からは奥まった山あいにあったという。建物の前には小船を浮か…

万人風呂 霞上館跡の1

以前上げた記事で「辻潤が塩原に来たときのこと」というのがあるのだが、その中で間抜けな勘違いをしていることに気づいた。 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん ダダイスト辻潤が1935(昭和10)11月に塩…