がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

峠・ちょっぽり

尾頭峠小滝側 師に助言を給う

ユウレイソウ 6月上旬今尾頭道(会津西街道塩原通り)の明治の新道との出合いから先の道跡が見つけられない。前回見つけた新道から分岐する道跡を下ってみたのだが、つづら折の先は新道の2段目を跨いで小さな枝尾根に降り、その先は消失していた。ビジターセ…

尾頭峠小滝側の探索の3

その2へ尾頭山の南東側斜面は、江戸期の今尾頭道と明治尾頭新道のつづら折りが複雑に交差している。前回、谷筋を上がる今尾頭道から明治尾頭新道に出たものの、今尾頭道の続きの道をみつけることができなかった。この尾頭山の南東側斜面に存在する道跡を丹…

尾頭峠小滝側の探索の2

(4月と5月の撮影時期が異なるものが混在しますがご容赦) 中道沢入口から右岸側をずっと遡ってくると、小さな沢と二俣になっている所から100m程で、沢がナメになっている場所がある。ここで左岸(中間尾根側)に渡りちょっと進むと、振り返り気味に取り付き…

尾頭峠小滝側の探索の1

尾頭峠(標高1142m)は、那須地方と会津地方の文化圈を隔てる境となる峠だ。以前から興味があって、昨年は、三依側の明治尾頭新道と、尾頭沢を遡り九十九折の坂を上がる中世・江戸期の道を辿ってみた。今年は小滝側からの尾頭峠への道を探索しようと思い立っ…

倉掛峠の探索

日光北街道の玉生と倉掛の間に倉掛峠がある。現在R461となっている道の基は明治21年に開通したもので、倉掛三険と呼ばれた戸方坂、日光坂、外出坂を避けるように作られてる。日光坂と外出坂の間のピークが倉掛峠だ。 峠にある倉掛新路記の碑によると、この一…

尾頭峠上三依側の探索の1

この記事をUPした頃は、江戸期尾頭道ルートと明治の尾頭新道ルートの関係を理解しておらず、本文は修正しましたが、コメント欄はそのままにしてありますのでご了承ください。[2009.12.01修正] 尾頭峠に向かう前に小滝の明治尾頭新道入口をちょっと下見。小滝…

南方鰻坂

テンネンブツを確認後、自分なりに木佐美側に抜けてみてから、いろいろと情報を頂いたMさんに挨拶に行ったところ、Mさんが南方鰻坂を案内してくれることになった。今までの記事はあくまで俺の憶測も含めたものであったので、正式なルートとして上げておくこ…

鰻峠の探索

平治元年、武田耕雲斎率いる水戸天狗党の一千余名の一行は大子を出発し、左貫口、関ノ田和峠を越え、水戸藩領須賀川村から明神峠、雲巌寺村、大多羅村を通り八溝山の西麓を北上する。一行は川上村の川上と露久保で宿泊。翌日明け方早く、西の山越えの道、南…

会津西街道 高原越えの探索2

会津西街道高原越えの後編。高原新田から藤原宿方面へ下るの巻。 旧宿場跡の元屋敷から宿西端の墓地跡を過ぎ、開拓地の端の柵から外に出る。柵沿いに数10m行くと「磁石石」がある。 高原新田住民が200年にわたり住み慣れたこの地を離れねばならない悔しさを…

紅葉ウォーク 尾頭峠の1

塩原温泉ビジターセンター主催の「紅葉ウォーク1 尾頭峠」に参加してきた。尾頭トンネル上三依側入口~東京電力鉄塔22号~尾頭峠の分岐~高原道~大塩沢峠~大塩沢林道(元湯林道)~元湯近くの林道分岐、というもの。行程9.6kmのコースだ。 ビジターセン…

会津西街道 (下野街道)山王峠の探索

なためさんの会津西街道踏破の旅、山王峠越えに同行させてもらった。詳細はなためさんのブログ記事「会津西街道8」を参照のこと。 「長い出路をのぼると、高さ二五〇〇フィートの峠の頂上に出た。そこは三〇フィートも幅のない突き出た山の端で、山々や峡谷…

会津西街道 高原越えの探索1

今回、なためさん、まるみやさんについて高原越えのルートを辿る機会に恵まれた。なためさんのレポートは「磨り減った山靴 会津西街道5」を参照のこと。今回は「片足沢橋」脇のスペースに一台、そして日塩道路の藤原出口のR121合流点の駐車場に一台車を置…

高原新田宿

日塩もみじラインの旧メイプルヒルスキーリゾート入口附近から北西に入っていく鶏頂開拓地区南端に、かつて会津西街道の高原新田宿があった。 高原新田村の起こりは承応から寛文にかけて(1652-72)6戸がこの地に移住したそうだが、湯元塩原村(現在の元湯…