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がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

塩原温泉川崎大師厄除不動尊年祭

今年で37回目となる塩原温泉川崎大師厄除不動尊の年祭に行って来た。以前からなぜ塩原の須巻富士に川崎大師のお不動さんがあるのか疑問だった。遊園橋のつづら折のところに看板があり、万人風呂があった頃からお不動さんがあったのかと思ったがそうではない…

塩原袖ヶ澤温泉にようこそ

辻潤が宿泊した塩原萬人風呂霞上館のことを調べはじめてしばらく経つが、当時の宿泊のしおり「塩原袖ヶ澤温泉案内」を入手したので、その内容を元に萬人風呂の詳細を紹介していく。 萬人風呂霞上館があった谷地の沢を袖ヶ沢というので、当時は「袖ヶ澤温泉」…

石間の湯 川原の湯@大網温泉

箒川沿いに湧出する大網温泉に行ってきた。 大網温泉は天保9年4月、関谷村の農民 庄之助により発見されたという。塩原村共有の温泉となり年期を決め入札により借用する形をとっていたが、佐藤某が湯守となり温泉宿を営む。当時は花柳病(瘡毒・疥癬)に治効…

和泉屋旅館@福渡戸

塩原温泉古式湯まつり 温泉ふるまい巡りのラストは福渡の和泉屋旅館。 まもなく創業480年になる老舗。戦国時代からやってるお店って。明賀屋駐車場にある高尾塚建立(文化13年)に関わっていたり、戊辰戦争の際、郡上藩凌霜隊が塩原口守備のために駐屯してい…

旭の湯・平成の湯@古町

新湯の上藤屋で昼飯。あいかわらずご飯の炊きあがりを待たされる。浮世の風が吹き込まぬ山奥の食堂で、かき氷を食べて待つのもおつなもの。がっつりと名物の天丼を食べて、箒川沿いの温泉街に下りる。 妙雲寺脇の駐車場に車を停めて門前をそぞろ歩き。門前銀…

元湯千軒の記憶

平安時代から湯治客で賑わい「元湯千軒」と呼ばれた塩原元湯。寛永年間の湯本塩原は48軒の農家兼宿屋と8箇所の湯屋があった。邯鄲(かんたん)の湯、梶原の湯、帯刀(たてのき)湯から引湯した橋本の湯、御所の湯、川原の湯、中の湯、姥の湯である。慶長16年…

下の湯@畑下戸

塩原温泉の古式湯まつりでは、無料で温泉に入れる「温泉ふるまい」というイベントを2年前から行なっている。お湯の恵みに感謝しつつ、塩原温泉郷におよばれに出掛けた。「湯っぽの里」に車を置かせてもらって、畑下(はたおり)温泉に向かう。共同浴場高砂の…

中の湯@塩原新湯

元湯千軒と呼ばれた塩原元湯が、江戸初期の大地震による地滑り・大洪水で壊滅し、湯本村の住人たちは新湯(荒湯)・高原・上、下塩原などに移住を余儀なくされた。爆裂噴火口跡近くに源泉のある新湯に、かつての元湯の姿を再現すべく宿屋・湯治場の開発が行…

塩原温泉芸妓組合跡@塩原塩釜

塩釜温泉高尾塚碑の裏手の高台に、かつて「塩原温泉芸妓(げいぎ)組合」があった。現在は更地になっているが、'90年代の住宅地図には載っているので、建物は最近まであったのかもしれない。今でもこの場所のことを「ケンバン(検番)」と呼んでいる。芸妓組…

温泉ふるまいの日

先日プチギックリ腰になり、腰をかばってるせいか腰痛がひどい。いい天気だし、温泉にでも浸かってくるかと塩原新湯むじなの湯へ。塩原の「古式湯まつり」で、入湯料が無料になる「温泉ふるまい」が行われることを、デミオさんの掲示板で見て知っていたのだ…

大沼@奥塩原

涼を求めて龍化の瀧でも観に行こうと思ったのだが通行止めになっていた。で奥塩原の大沼に行ってきた。 大沼はモリアオガエルの生息地。今の時期、水たまりの上の木の枝にはいくつもの卵塊が見られる。 小さい頃に来て以来か。その時はタニシ採りをした覚え…

狢(むじな)の湯@塩原新湯

年末、久々の休み、親父と塩原の公共浴場に。塩原新湯、むじなの湯。二十代の頃は、朝から鶏頂山でスキー、昼前に上がってむじなの湯、午後は呑みという定番コースがあったっけ。来湯はかなり久々。 上藤屋と亀屋の間の急な階段を下っていくと左手に大師堂が…

袖ヶ沢温泉 万人風呂霞上館より

先日、古本屋で万人風呂霞上館で販売してたと思われる絵葉書セットを入手した。 彩色した天然色バージョンの絵はがきよりも、白黒のままのほうが細かい部分まで確認できる。でっかい画像はここに。 専用道路見晴臺ヨリ畑下戸門前古町ノ遠望 現在の畑下付近 …

尾頭峠小滝側 師に助言を給う

ユウレイソウ 6月上旬今尾頭道(会津西街道塩原通り)の明治の新道との出合いから先の道跡が見つけられない。前回見つけた新道から分岐する道跡を下ってみたのだが、つづら折の先は新道の2段目を跨いで小さな枝尾根に降り、その先は消失していた。ビジターセ…

尾頭峠上三依側の探索の4

[2009.12.10修正]上三依側から再探索、まずは気になった江戸期の遺構の残る尾根に向かう。 上三依の一里塚、石仏群を過ぎ、尾頭沢を渡る前に左手に見える尾根をつづら折りで上がっていく。 つづら折入口から尾根を見上げるの図。 そこにはかつて不動明王の…

尾頭峠上三依側の探索の2

明治尾頭新道探索後に文献を探しに行ったら「尾頭トンネル工事誌」という本があった。尾頭峠をどうぶん抜くか、いくつかのルート案まで紹介されていてとても興味深い本なのだが、その中の「尾頭トンネル工区平面図」という地図に、尾頭峠の旧道、明治尾頭新…

尾頭峠上三依側の探索の1

この記事をUPした頃は、江戸期尾頭道ルートと明治の尾頭新道ルートの関係を理解しておらず、本文は修正しましたが、コメント欄はそのままにしてありますのでご了承ください。[2009.12.01修正] 尾頭峠に向かう前に小滝の明治尾頭新道入口をちょっと下見。小滝…

紅葉ウォーク 尾頭峠の1

塩原温泉ビジターセンター主催の「紅葉ウォーク1 尾頭峠」に参加してきた。尾頭トンネル上三依側入口~東京電力鉄塔22号~尾頭峠の分岐~高原道~大塩沢峠~大塩沢林道(元湯林道)~元湯近くの林道分岐、というもの。行程9.6kmのコースだ。 ビジターセン…

塩原八幡宮@中塩原

中塩原八幡町にある塩原八幡宮。現在はR400バイパスの青葉通りが全面開通してアクセスがよくなったが、ちょっと前までは日塩道路側からしか上がれなかったと思う。江戸期以前は、追沢より西側の平地は箒川が氾濫するため古町の本陣付近から斜めに上がってい…

高尾塚@下塩原塩釜

塩釜温泉のホテル明賀屋駐車場に「高尾塚」の碑がある。文化13年(1816)11月に建立されたこの碑は、正面に「高尾塚」、他の3面には江戸の儒学者「山本北山」による撰文が刻まれている。この碑は、塩原出身の二代目高尾太夫の没後150年に、その身を哀れんだ…

万人風呂と遊園橋、遊園道

青葉通り沿いの小太郎ヶ淵入り口前から箒川の渓谷に下りていくつづら折の道がある。専売公社(JT)の塩原寮が途中にあるこの道が「遊園道」だ。 これは90年代の住宅地図に着色したもの。オレンジが青葉通り予定線、黄色が万人風呂に向かう道路として開削…

万人風呂 霞上館跡の2

当時塩原は、華族・皇族らセレブが別荘を構え、文士や芸術家、実業家がこぞって訪れるリゾート地であった。「万人風呂 霞上館」は大正の末にオープンした温泉施設で、箒川流域に点在する塩原七湯からは奥まった山あいにあったという。建物の前には小船を浮か…

万人風呂 霞上館跡の1

以前上げた記事で「辻潤が塩原に来たときのこと」というのがあるのだが、その中で間抜けな勘違いをしていることに気づいた。 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん 辻潤が塩原に来たときのこと - がりつうしん ダダイスト辻潤が1935(昭和10)11月に塩…

離れ室城跡@塩原畑下

塩原の里ウォークからの切出しです。三依・横川・塩原を領地としていた塩原氏が衰退し、宇都宮氏の家臣の君島信濃守が塩原に侵入してくる。康歴2年(1380)、畑下の対岸富士山の峰部分に建てられた居城が通称「離れ室」である。 青葉通り弁天大橋からの眺め…

塩原の里ウォーク

塩原温泉ビジターセンター主催の「塩原の里ウォーク」に参加してきた。コースはビジターセンターから青葉通りを通って、源三窟、塩原八幡宮、塩原もの語り館、妙雲寺などを巡るもの。観光コースっぽいが、塩原の街中じっくり散策したことがなかったので、参…

辻潤が塩原に来たときのこと

1935(昭和10)11月、辻潤が塩原に来ている。辻潤51歳のときである。 精神病院の入退院を繰り返し、貧窮の生活のなか全国のファンを頼って放浪し、金に困ると虚無僧となり、尺八を持って門付して歩く日々。愛人の松尾としとのどん底の生活。辻と松尾は、塩原…