がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

会津西街道

御判石を観に行く その2

その1から続く さて肝心の御判石(ごはんいし)だが、先ほどからちらちらと写り込んでいるのにお気づきだろうか。 男鹿川の水量が増えて、先端だけが水面から顔を出している。 橋脚脇の川岸から。右が御判石で左が万歳橋の橋脚に使われた石だ。記事の写真を…

御判石を観に行く その1

1月8日下野新聞に五十里ダム湖底の歴史的遺構の記事が掲載されてから しばらく休みが合わず、やっと1月20日になって現地を訪れることが出来た。あれから降雪なく良い天気が続いたので、安全に現地に辿り着くことが出来た。しかしその天気の良さが裏目に出る…

歴史的遺構、五十里ダム湖底から出現

下野新聞の1面に五十里ダム海尻橋附近の遺構についての記事が掲載された。 下野新聞2018/01/08の記事から 歴史的遺構、湖底から出現 17年ぶり五十里ダム(日光)抜水 街道跡や境界の巨石 取水設備の改修工事に伴う日光市川治温泉川治の五十里ダムの抜水作業…

御判石@五十里海尻

江戸時代を通して、会津西街道・小佐越新道沿いの藤原地方は、3つの異なる系統の領主によって統治されていた。鬼怒川の左岸(高原新田・藤原村・大原村・高徳村)は宇都宮藩領、右岸(西川村、川治村・滝村・小佐越村・柄倉村)は日光神領、海尻以北の三依…

下野街道大内宿の白湯山碑

天空の古道トレッキングの翌朝に大内宿に寄る。宿の端の塔碑群の白湯山碑を撮影に来た。あいにくの小雨模様。下野街道大内宿の白湯山碑天保15年(1844) 81×54×32㎝ 37.335095, 139.862285[表面]白湯山[裏面] 清左エ門 喜左エ門 槽治良 村中天保十五甲辰年 …

日光市歴史民俗資料館企画展「会津西街道の旧道をたどる」

旧今市市内にある日光市歴史民俗資料館の企画展「会津西街道の旧道をたどる」を見てきた。今市図書館に隣接する施設だ。古地図や絵巻の展示もあるのだが、今回の企画展は「たどる」の名のとおり地形図に旧道のルートを引き、街道筋の史跡や見どころをポイン…

一里塚の基点の件

五街道の一里塚は、江戸日本橋を基点にしている。慶長9年2月、江戸幕府による「将軍家被仰出 諸海道ニ一里塚つき可申」旨の指令により道中奉行を通じて諸国の大名に伝達され築かれた。では、五街道以外の脇街道はどうだったのか。会津と阿久津河岸を結ぶ街道…

尾頭峠上三依側の探索の2

明治尾頭新道探索後に文献を探しに行ったら「尾頭トンネル工事誌」という本があった。尾頭峠をどうぶん抜くか、いくつかのルート案まで紹介されていてとても興味深い本なのだが、その中の「尾頭トンネル工区平面図」という地図に、尾頭峠の旧道、明治尾頭新…

尾頭峠上三依側の探索の1

この記事をUPした頃は、江戸期尾頭道ルートと明治の尾頭新道ルートの関係を理解しておらず、本文は修正しましたが、コメント欄はそのままにしてありますのでご了承ください。[2009.12.01修正] 尾頭峠に向かう前に小滝の明治尾頭新道入口をちょっと下見。小滝…

会津西街道 高原越えの探索2

会津西街道高原越えの後編。高原新田から藤原宿方面へ下るの巻。 旧宿場跡の元屋敷から宿西端の墓地跡を過ぎ、開拓地の端の柵から外に出る。柵沿いに数10m行くと「磁石石」がある。 高原新田住民が200年にわたり住み慣れたこの地を離れねばならない悔しさを…

湖畔亭ほそい@五十里堀割

鬼怒川・川治附近。紅葉はまだまだ見ごろ。道脇にちょっとだけ雪が残っている。 五十里ダムを過ぎトンネルを抜けると、山肌が白くなってきた。海尻橋を渡り東岸の旧R121へ入る。六左の墓を見てから雪が残る高原越えの取り付きを上がり、庚申塔の前でしばし感…

紅葉ウォーク 尾頭峠の1

塩原温泉ビジターセンター主催の「紅葉ウォーク1 尾頭峠」に参加してきた。尾頭トンネル上三依側入口~東京電力鉄塔22号~尾頭峠の分岐~高原道~大塩沢峠~大塩沢林道(元湯林道)~元湯近くの林道分岐、というもの。行程9.6kmのコースだ。 ビジターセン…

山王茶屋

福島県と栃木県境近くの山王峠の麓にあった「山王茶屋」は、平成2年に解体され、16年に奥会津博物館(旧 奥会津地方歴史民俗資料館)の敷地内に復元された。山王茶屋は会津西街道沿いに現存する唯一の本陣形式の建物だ。 山王茶屋は江戸初期の元和3年(161…

会津西街道 (下野街道)山王峠の探索

なためさんの会津西街道踏破の旅、山王峠越えに同行させてもらった。詳細はなためさんのブログ記事「会津西街道8」を参照のこと。 「長い出路をのぼると、高さ二五〇〇フィートの峠の頂上に出た。そこは三〇フィートも幅のない突き出た山の端で、山々や峡谷…

五十里宿

江戸期、現在の県境である山王峠からこっち、横川、中三依、五十里は下野国ではあるが、「南山御蔵入領」と呼ばれる陸奥会津藩の領地だった。「御蔵入」とは、この土地の年貢は幕府の領地なので、江戸浅草の幕府蔵に入れられる、という意味であろう。南山領…

会津西街道 高原越えの探索1

今回、なためさん、まるみやさんについて高原越えのルートを辿る機会に恵まれた。なためさんのレポートは「磨り減った山靴 会津西街道5」を参照のこと。今回は「片足沢橋」脇のスペースに一台、そして日塩道路の藤原出口のR121合流点の駐車場に一台車を置…

高原新田宿

日塩もみじラインの旧メイプルヒルスキーリゾート入口附近から北西に入っていく鶏頂開拓地区南端に、かつて会津西街道の高原新田宿があった。 高原新田村の起こりは承応から寛文にかけて(1652-72)6戸がこの地に移住したそうだが、湯元塩原村(現在の元湯…

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿

9月2日、なためさんと共に下野街道ウォーキングに参加してきた。下郷町あるもの探し実行委員会という処が主催。楢原宿から大内宿までの12.5kmを巡るツアーだ。下野街道(会津西街道)はいつかは辿らねばならないルートであるし、9/16に行われる会津中街道(…

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿 の2

楢原集落の北端、R121から旧道に入る。楢原宿内からずっと、道の両側に八幡神社、雷神社の幟が立っていた。やがて街道は山道にさしかかる。 八幡神社の階段下に関所が。右に上がっていくと雷神社がある。野武士?というか山賊っぽいイデタチのオッサンが格好…

下野街道ウォーキング:楢原宿~大内宿の3

小池・板倉集落を抜けて戸石川を渡り、倉谷・水抜宿へ。 倉谷と水抜はほとんど一つの集落のようだが、小さな小川が境界線になっている。かつてはこの地域の商業の中心地で、寛永~貞享年間には六斎市が立ち、主に米を売買したという。現在は山あいにひっそり…

会津領内絵図を見に行く

なためさん・白石さん・まるみやさん・佐藤さんと「会津領内絵図」を見に、福島県立博物館に行ってきた。「会津領内絵図」は正保年間(1644-1648)に会津藩が幕府に献上した南北5.5m、東西4.3mの会津領内の地図。今回のイベントで床に広げられていたのは、そ…