がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

わか美屋食堂@百村

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板室温泉で午後から会合。どこかで昼飯食べてこうと思ったんだけど月曜なんでけっこう休みが多い。もう温泉街のふく味でいいかな、と考えてたそのとき「御食事処」の暖簾が目に入った。

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穴沢浄水場の手前の「わか美屋食堂」。これは名店の予感。

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道路はしっかり除雪されていて昼前ともなれば路面も乾いて快適に走れるんだが、もうかなり山に迫った場所にある百村ともなれば路肩の雪もかなりカチカチになっている。冷え切ったカラダが求めるのはもちろんこれ。

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タンメン 750円

やはりこれだ!あったまる~。なかなかの旨さ。次はもつ定を食べるぞ、と再訪を心に誓い板室温泉をめざすのだった。

わか美屋食堂
那須塩原市百村2975-1


御判石を観に行く その2

その1から続く

さて肝心の御判石(ごはんいし)だが、先ほどからちらちらと写り込んでいるのにお気づきだろうか。

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男鹿川の水量が増えて、先端だけが水面から顔を出している。

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橋脚脇の川岸から。右が御判石で左が万歳橋の橋脚に使われた石だ。記事の写真を見ると、もっと水量が少なければ、御判石と橋脚石に向かって堆積した砂利で高くなっている部分があり、床板の落ちた橋梁の街道跡遺構の向う側によじ登らなくても近くに行けたようだ。

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湖畔亭ほそいさんで見せて頂いた写真。御判石は横倒しになっているというが、高さ10mもある巨石だ。砂利が堆積して埋もれてしまっているのか。突き出ているのは頭頂部なのか下部なのか。頭頂部の東西南北の刻字は確認できたのだろうか。

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大正~昭和初期に流通した史蹟を案内する古絵葉書。この俯瞰からのショットは近代の「會津西街道」、1877(明治10)年に完成し、1956(昭和31)年の五十里ダム完成とともに湖底に沈んだ道路上から撮影したもののようだ。

完成間もない1878年にこの街道を通ったイザベラ・バードも「私は、日本でこれ以上に美しい場所を見ることはできないだろうと思う」とこの渓谷沿いの景色を絶賛している。「日本奥地紀行」では五十里宿訪問のシーンの前に「広い谷間に下ってゆくと、静かな渓流は物さわがしく流れる鬼怒川と合流する」と「海跡」の大きな河原の描写も出てくる。旧街道はやはり段丘下を通っていたのか。

完訳 日本奥地紀行1―横浜―日光―会津―越後 (東洋文庫)

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御判石と並ぶようにたたずむ万歳橋の台座石。万歳橋とは江戸期、会津西街道に対抗する小佐越新道側の勢力が作った橋。会津西街道側勢力に御上の定められた御判石を台座にするなど!と現場で確認すればすぐわかる嘘で難癖をつけられ、川上に60mほど場所を変更して架けられた際の台座石がこちら。

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湖畔亭ほそいさん提供

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同じ石を上流側から。右岸に渡渉してから南下して川治に向かうのだが、川沿いにへつりがあったのか、あるいは段丘上に登っていくのか。

段丘上に見えるのはR121の御判橋。俯瞰でこの場所を見下ろすと、

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こんな感じに見える。

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橋のたもとに一台だけ車が置けるスペースがある。川沿いの見下ろすベストポジションの部分の雪が掻いてあった。




御判石を観に行く その1

1月8日下野新聞五十里ダム湖底の歴史的遺構の記事が掲載されてから しばらく休みが合わず、やっと1月20日になって現地を訪れることが出来た。あれから降雪なく良い天気が続いたので、安全に現地に辿り着くことが出来た。しかしその天気の良さが裏目に出ることになろうとは。

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海尻橋から下流、御判石方面 

新聞に掲載されていた11月の写真と比べ男鹿川の水量が多い。ここ数日の天気で山に降った雪が解けて男鹿川に注いでいるのだろうか。

湖畔亭ほそいの向かい側の窪地に「ちびっこ広場」という公園がある。布坂山の半島を貫くように刻まれた「掘割」の跡。硬い岩盤に阻まれ水路工事は完成に至らなかった。

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布坂山(腹切山)にあった六左の墓は平成23年にここ掘割の広場に移設された。

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ちびっこ広場からスロープを下りてきた。通常のダムの水位ならもう水に浸かっている位置。

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上の画像の右側の岩壁。これは江戸時代の掘割の工事の際に掘削されたものだろうか。

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左岸の段丘上を進んでいく。

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幅が狭くなっていく。これはまさしく新聞記事の写真にあった場所だ。

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その先は橋梁の床板が落ちてしまっている。石積で覆われた法面。あちら側の突端には親柱が残っている!橋名板も残っているのだろうか?

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橋脚のたもとから。向う側に登って親柱を確認したいが、雪もあるし安全に戻ってくる自信がない。

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これが記事中にあった1877(明治10)年~1956(昭和31)年に使われた街道跡か。

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5万分の1地形図「川治」1912(明45)測図 に加筆

古地形図をみると男鹿川左岸の道路には「會津西街道」と書かれている。川治の消防署のところから分岐する旧道がそれか。
掘割部分に描かれている点線は道幅の狭い道があったってことだけど、これがかつての一応開通した水路の跡ということだろうか。古五十里湖の水位を調整する役割を最小限果たした水路の滝があったらしい。

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明治初期になっても掘割の硬い岩盤を掘削することは出来ず、布坂山の半島をぐるりと巻くような形で北上している。「572.80」地点より北は現在の道路のような気がするが、半島部分はこの湖底から一段高くなった部分を行くのか?あのガードレールが見える高さまで上がらねばいけないのだ。湖畔亭ほそいの駐車場奥のゲートは半島上の高台に上がる道?現在の道路に上がってくる取付きが湖畔亭ほそい付近にあったのではないか。

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この位置が当時の路面の高さと思われる。海尻橋のところにはすでに橋が架けられ、湯西川へ向かう道路が作られているが、橋梁はもっと低い位置にかかっていたのだろうか。まだまだわからないことが出てくるなあ。

その2へ

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黒田原花市2018

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黒田原の花市に行ってきた。このゆるキャラはみるひぃ?晩餐館の牛?いえいえ、大島地区の「しまたん」!かうわいい!!

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今まで役場前通りと認識していたが、ここは「相生町通り」というらしい。

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多少の引き延ばし感はあれど、なかなかの充実ぶり あなどっておりましたっ。

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縁起物の飾りも、高崎だるま白河だるまももちろんあります。

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唐揚げとたこ焼き、ピロシキとだっぱら汁で満足。やっぱり暗くなってから来たいなあ。

花市・初市2018日程

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今年はまだ花市どこも行けてないんだけど。画像は特派員から12日の大田原花市の様子。ケバブで立ち飲みしたい・・。

 

 栃木県北 花市・初市2018日程

 

さくら市氏家花市」 1/7(日)13:00-21:00
   氏家中心市街地大通り  毎年7日に開催

「初市(東那須野地区)」 1/8(月)11:00-15:00
    JR那須塩原駅駅東口市営駐車場  毎年10日あたりに開催


「花市(西那須野地区)」 1/11(木)09:30-21:00
    JR西那須野駅西口桜通り  毎年11日に開催
西那須野商工会

「花市(大田原地区)」 1/12(金) 10:00-21:00
  大田原市役所通り(ベイシア入口から神明町交差点) 毎年12日に開催

「花市(矢板市)」 1/13(金)11:00-20:00
  今年はベイシア矢板店駐車場にて 毎年13日に開催
矢板市観光協会


「花市(佐久山地区)」 1/14(日) 10:00-17:00
  佐久山小学校通り 毎年14日に開催

「黒田原花市」 1/20(土)10:00-17:00
  那須町役場前から相生町通り 毎年第三土曜日に開催

「黒磯初市(花市)」 1/27(土) 10:00-20:00
  黒磯駅前通り(線路と平行の通り) 毎年第四土曜日に開催

「黒羽大花市(黒羽地区)」 1/28(日) 9:00-17:00
  黒羽向旧駅前通り(旧さかいり前からR294) 毎年第四日曜日に開催


どんど焼きを観てまわる2018

今年1月12-15日は休みが取れないことが確定してるので、事前施工のトリノスを観て廻って本年度の報告としたい。

ネット上でみつけた情報をもとに黒磯の方京へ。

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大原間小学校の近く。子供会ごとでどんど焼きを運営するのは困難なご時世、子供たちの思い出になるようにおおきなコミュニティでどんど焼きを行うケースが増えてきた。

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昨年の場所が分譲地として造成中。隣のブロックの田んぼに移動したようだ。
この竹をみっしり立てるタイプは土屋のトリノスを思い出す。ワラを覆うタイプは火の粉が舞うので住宅密集地には不向きなのかも。

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すぐ後ろが那須塩原署。警察関係の方も参加されるのかしら。


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安定の箒川沿い金沢のトリノス。金沢高阿津橋たもと。

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この荒涼感がたまらない。川沿いでビュンビュン吹いたら河川敷野焼きしちゃいそうっていつも思うんだけど。それ以上延焼するものはなにもないからここなんだろうけど。

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宇都野橋のたもと、箒川沿岸運動広場のグラウンド。いままで大貫地区のトリノスだと思っていたのだが、ここのは宇都野地区のトリノスだと知りました。

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以前観たときはもっと大きく感じた印象が。近くで観れなかったのでそう感じたのかも。

 

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石上のトリノスは未造成。こちらは当日に施工と思われる。ここのトリノスはどデカくて野崎の陸橋からも見える。とにかく壮観なんだ。

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大山コミュニティの「どんどん焼きトリノス。旧西那須野の大山小学校学区の公民館グラウンドで毎年行われている。結構大ぶりなトリノスだ。

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12日の18時からの点火と看板に書いてあった。ぜひ近くのどんど焼きに出掛けてみてほしい。報告をお持ちしてます。








大田原神社の太子祭

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大田原神社の太子祭を観てきた。太子講といえば、このへんだと宗源寺でも行われているのを知っていたが、県北で一番大々的に行われているのが、ここ大田原神社の太子祭だ。毎年1月10日に執り行われる行事である。

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1月10日という日にちは知っていたのだが、何時から開式なのか全くわからなかったので、ほんとに朝イチでここ大田原神社に出向いたのだ。開式まで2時間以上あるw せっかくなので久々に大田原の市街地を歩いてきた。

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さすがに街中にはあちこちに今日の太子祭のポスターが貼られている。
太子講とは、大工や左官、今で言う建築関係や物作りの職人たちが、職能神である聖徳太子を信仰する講集団である。仕事始めにこの一年の無事故安全を祈願する儀式が太子講、太子祭というわけだ。

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なぜに聖徳太子が職能神として奉讃されているのか。聖徳太子といえば法隆寺の建立に関わり、また多くの寺院の建立伝承に登場する人物として建築の歴史での「開基は弘法大師」みたいな存在だということ。あわせて曲尺(かねじゃく)は聖徳太子の発明、みたいな起源説が追加されたりして。江戸時代ぐらいから職人の間で聖徳太子を大工の祖として、職能の神様として信仰する風習が広まったという。太子講はもともとは仕事始めの安全祈願とこの一年間の申し合わせや賃金の決め事を行う場だったようだ。

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屋台祭りのぶっつけを彷彿させるめっちゃ早い新囃子ドラムンベース!アガる!


定刻通り11時に花火があがり開式。

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狩衣に烏帽子姿の棟梁達を先頭に入場

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儀式で使われる4mの杉の丸太を場内に運び込む

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宮司による祈願

釿始之儀(ちょうなはじめのぎ)がはじまる。丸太を角材に仕立てる工程を模した儀式。

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墨矩(すみかね)・墨打ち

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鋸(のこぎり)

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斧で粗く平面を出す

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釿(手斧、ちょうな、刃が横に付いたオノ)でさらにはつり平らにする

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玉串奉納

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お昼ちょっと過ぎで終了。木漏れ日が差すものの、境内の太子前は寒い!小腹もすいて「たい焼きしろやま」に走るがすでに遅し、準備中の看板が。