がりつうしん

那須野ヶ原を中心とした話題と与太話、ほぼ余談。

大田原市の道標と碑塔類調査 / 郷土歴史散歩の会

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昨年末東武の古本市で買った「大田原市の道標と碑塔類調査」。この郷土歴史散歩の会というのはよくわからないのだが、「下野の野仏」の大田原エリアの表の抜粋に、大田原春雄氏の「大田原の道標」と 佐藤栄一氏の「旧奥州街道水準標刻彫石造物の現況」、石上宿付近の会津中街道ルートに関して大いに参考になった束原昇氏の「おらがふるさと野崎道の史跡散歩」の各論文の抜刷り合本という感じの本だ。平成25年発行の本なのだが、各論文で紹介された塔碑の現状を紹介するわけでもないから、道標探索のガイドとして組んだ本なんだろう。

大田原春雄氏の「大田原の道標」の元になった「大田原市内の石仏を訪ねて」はライスラインも通っていない昭和50年にまとめられたものだった。おれが大田原春雄氏の「大田原の道標」と矢木沢誠司氏の「黒磯市の道標」を教科書に道標調査を始めたのが平成15年。あれから15年で消失したり移動された塔碑もいくつかあり、新しく見つけた道標もブログに書き留めはするけどHPをいじるには至らなかったり。なんとかせねば、とつぶやき続けて、もうすぐ元号が変わる。

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御判石@五十里海尻

江戸時代を通して、会津西街道・小佐越新道沿いの藤原地方は、3つの異なる系統の領主によって統治されていた。鬼怒川の左岸(高原新田・藤原村・大原村・高徳村)は宇都宮藩領、右岸(西川村、川治村・滝村・小佐越村・柄倉村)は日光神領海尻以北の三依郷六が村(横川村・上三依村・芹沢村・独鈷沢村・五十里村)は幕府の領地である天領になっていた。この3つの異なる領地の三方境の境界石が「御判石(ごはんいし)」だ。江戸時代中期の宝暦年間に、高原新田と五十里村の間で山境の争いがあり、幕府評定所の役人が来て境界を決め、今後こういった争いがないように三か村(高原新田・西川村・五十里村)の境にあたる五十里川(=男鹿川)の中央に大きな自然石を建てたという。

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藤原町史通史編より

御「判」は、わかつ・わかる・さだむる・さばく の意味で、境界を分ける、定める石という意味だ。

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古絵葉書 (川治温泉)史蹟を伝える御判石  星野屋印刷発行

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古絵葉書(鬼怒川温泉名勝)川治附近御判石 星野屋印刷発行

高さ四十尺(13m余)、ちょうど四角な深鉢を伏せたような形で、頭上の平面には「東西南北」に方位が刻み付けてあった。明治・大正と御判石は揺るぐことなく立っていて藤原地域の名所として親しまれてきた。ところが、昭和15年頃の台風による洪水で、その水勢に逆らいきれず横倒しになってしまった。その後五十里ダム建設による五十里湖の出現で湖底に沈んでしまい現在に至る。
昭和15年頃の台風の洪水で横倒しになってずっとそのまま、とのことだが、享保8年8月の古五十里湖が決壊した際の洪水のすさまじさは計り知れないものだったろうし、その時も瓦礫の中から御判石を見つけ出し、皆で元の位置に建て直したのではないか。上の古絵葉書の発行は大正から昭和初期ぐらい、絵葉書で紹介されるくらい当時も有名だったのだ。五十里ダムの最初の工事は昭和4年、その後昭和17年に10か年継続事業として2回目の工事が予定されていたが、ようやく戦後昭和31年(1956)になって完成する。

長らく五十里湖の底に沈んでいた御判石だったが、2017年の秋口からその姿を実際に観ることが出来る機会が訪れた。五十里ダム堤体に新たな放水路を作る工事を行うため、ダムの水位を下げる措置が取られているというのだ。

参考:「藤原町史通史編」「鬼怒川・川治 民話と旧跡」

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湯荘 白樺@塩原新湯

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本格的な冬の前に塩原の新湯に来た。今年は温泉ぶるまいに参加できなかったが、何度か日帰り湯で塩原温泉を訪れた。今年は既に11月21日に降雪したみたいだ。今回は共同湯でなく湯荘 白樺さんに入浴させてもらう。

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湯荘 白樺さんはもみじラインの道路から山際に一段高い位置に正面玄関があるのだが、内湯浴室はそこから三階にあがる。

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源泉名をみると「共同噴気泉 (なかの湯)」とある。すぐうしろの共同湯「中の湯」と同じ源泉であったか。

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総桧造りの浴室はなんともいい雰囲気。硫黄の香りを胸いっぱい吸い込んでいざ入浴。

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源泉は無色透明だが、空気に触れると乳白色の濁り湯に変化する。湯荘 白樺といえば湯泥パックだが、午前中のお掃除のすぐあとだったせいか、洗い場に湯泥の入ったバケツはなかった。

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建物のすぐ隣には源泉口があり、向う側には中の湯。窓の外には狛犬と鳥居が見える。裏のコンクリの向こうは爆裂噴火口跡。大地の息吹がふつふつと湧き出している。

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風向きによっては硫化水素ガスがたまってもおかしくない場所。空気清浄機がついてた。白濁湯に悶える最高のひととき。

八宝苑@共墾社

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旧4号沿い共墾社、共英小学校入口前の八宝苑。外観はヤバイがイチ押しの中華食堂。

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街なかに年季の入った食堂を見かけると気になって入ってしまう。だいたいのお店は後継者がいなくて老夫婦が営んでいたり、店主を亡くされて奥さんとお手伝いのお子さんがお店を守られていたりするケースが多い。経験則だと調理を引き継いでとりあえず営業してる感じのお店はだいたいイマイチ。シブイ外観内装だけど皆におすすめ出来る味ではないな、と記録は残してもブログやツイッターには上げなかったりする。
そんななかでも八宝苑はメニューのなんでもうまいし値段も据え置き。定休日と営業時間が謎なのも魅力のうちか。

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チャーハン 500円

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ラーメン 400円

となりのマツダから漏れるフレッツでフリーWi-Fi!こういういい店は残さにゃいかん!

この前板室街道通ったら、あーちゃんの居抜きの建物に「八宝苑」って手書きで描いてあったけどあれは2号店・・?


八宝苑
那須塩原市共墾社1丁目6−18

笹野曽里の街道跡の現状

「天空の古道 会津中街道山歩き旅2017」の参加者の方から、笹野曽里の一里塚附近の街道跡の状況を伺って、気になったので確認してきた。

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畑脇の雑木林が拓かれ太陽光パネルが設置されている。東塚のある雑木林まで伐採されてはいない。そういえば板室本村の古戦場跡も電気畑になってしまった。土地所有者が何に利用しようと文句の言いようはないが、那須の山々を背負った牧草地帯の風光明媚な情景のあちこちに作られるキラキラの電気畑をみるにつけ、観光産業を柱とする那須町がこういった開発にある程度の規制をかけないのはどういうことだろう。この場所のすぐそばには最終処分場があったりする。この附近は那須塩原市北部は水源地にもかかわらず産廃銀座と呼ばれる最終処分場が集中するエリアになっている。合併以前の話なので当時どういう方針でこうなったのやら、政治的なことは興味ないけど。

天空の古道 会津中街道山歩き旅2017

昨年に引き続き、会津中街道交流実行委員会主催の「天空の古道 会津中街道山歩き旅」に参加してきました。月初めにかなり激しいギックリ腰に見舞われ参加が危ぶまれましたが、不安を抱えつつもなんとか完歩することが出来た。
今回は会津側集合組と栃木板室温泉側集合組の2グループ。板室側集合組がバスで野際のスタート地点に到着したのが8時40分頃。合計80名ほどの参加者で出発。

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紅葉の落葉を踏みしめながらのトレッキング。

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大峠。このあと雨足は霧雨から小雨に変わる。雨粒として落ちたため、大峠である程度見通しがきいてよい景色を堪能出来たということか。

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大峠から三斗小屋宿跡までの会津中街道跡は非常に歩きやすく部分的に熊笹を下刈りすれば快適なトレッキングルートなのだが、3か所の渡渉、そして麦飯坂手前のでさらに湯川の渡渉があるため、単独、少人数での遡行はかなり難しい。安全ロープだけでザブザブ渡った方も多いはず。倒木での安全な橋掛けには経験と技術が必要だ。

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今回は那須山岳会の強力なサポートの元、万全の体制での実施でした。

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湯川渡渉点。わざわざこのスノコと鉄パイプを運んできて下さったサポートの那須山岳会の皆さんには感謝の言葉しかない。

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最後の最後、すっかりクタクタの状態での麦飯坂登り。大人数の隊列なのでかなりゆっくり、休み休みだったのでなんとか上がることが出来た。沼っ原から駐車場に上がる階段が一番きつかったかもしれない。

トレッキング終了後は板室温泉「幸乃湯」で「夜楽会」が行われた。佐藤淳一先生とスタッフの皆様、企画運営お疲れ様でした。

 

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高瀬観光やなの準備を観に行く2017@小川谷田

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那珂川天神河原 高瀬やなのやな作りの現場を見てきた。7月に入り急に熱くなって水辺が恋しい季節。海もマンプーも遠い栃木県北民にとって、やなでの水遊びは夏の最高の思い出だ。
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やなを設営するにあたり、まずは簗場の上流に堰を作り、流れを遮らなければいけない。その上でやなの施工に入る。

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支柱を打ちこみ水平の柱を渡しその上に板を張る。簗漁の期間は7月1日から10月31日まで。やなの施工は7月1日にならないと始められないので実際のやなが始まるのは7月20日ぐらいから。

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とても大きな蛇籠、太郎籠と次郎籠がやなを護る。中で職人さんが竹を編み上げておられた。

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操業始まったらこんなアングルでは撮れないので貴重だなあ。

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本格的な夏はそこまで!

 

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