天気はあまりよろしくないが斉燈護摩日より。石上の西光院の火渡りを訪問。今年は観覧席に野球少年たちが。
山伏問答
法斧の儀
法弓の儀
法剣の儀
床堅の儀
祈願文披露
点火
11月23日、24日は嶽山箒根神社の例大祭。同日は上河内の羽黒山の例大祭でもあり、ついつい規模の大きいあちらに行ってしまうのだが、今回は嶽山箒根神社の梵天上げを観に来た開式は午前10時。ぎりぎりに着いたので車を停める場所がない。と言っても駐車場は数十台しか置けないので、ほとんどの車は路肩にずらっと停めている。
箒根神社を祀っている地域は、宇都野、金沢、上大貫、上塩原、上伊佐野、土屋、針生、荒井、塩田などである。かつては例大祭にこれらの地域から梵天が奉納されていた。現在は宇都野、金沢、子供会、JA、アグリパルの五つの梵天が奉納されている。
遥拝殿である高清水の嶽山箒根神社の前を梵天が行ったり戻ったりする。もともとはまっすぐ遥拝殿に奉納したんだろうけど、五穀豊穣、商業繁栄、家運長久を祈願して、梵天・獅子舞が奉納される。
屋台にはホコリ除けのシートがかかせません。
バスン!バスン!と梵天を地面に叩きつけ地の悪霊を払う。この所作を「もむ」という。
遥拝殿に梵天を奉納。
また来年。
さむくなってくると温かい甘いものが食べたくなる。氏家に来たらやはり石田屋のたいやき。10月から4月までの限定で販売してる。この店構えを観てくれ同志よ。
石田屋は明治初期から菓子店を営む老舗。石田屋のたいやきは氏家の冬の風物詩である。たいやきもその頃から販売されていたというが何が特別なのか。
石田屋のなにがすばらしいって、さあさ早く中に入ってご主人の仕事ぶりをみよ。
現在のご主人は三代目。八十代とはおもえぬかくしゃくとした働きぶり。この使い込んだたい焼き製造器を見てくれ。
なんと炭火でたいやきを焼いているお店なのだ。たいやきを作る鋳物がバウルーみたいな一度に2匹しか作れないもの。たいやきが作られ始めた当初はこれがスタンダードだったらしく、現在のいくつも型のついている大きなプレートは昭和に入ってから、ガスになって火力が強くまんべんなくまわる装置が作られるようになってからのものとのこと。
レジ周りの調度品も使い込まれた味のあるものだ。おばちゃんも元気そうでなにより。
このミニサイズ、宇都宮の相馬屋さんと同じ大きさ!相馬屋は大判のいくつも作れるプレートだと思うけど、かつてのたいやきの大きさがこれなんだな。表面カリっと中はふわっふわ。あんこはこしとつぶを合わせてる感じ。最近のスーパーのフードコートで売ってるような「養殖モノ」とは違うワイルドな天然モノのたいやき。やっぱり買ってすぐほふほふしながら食べるのがいちばんうまい。店舗の隣が公園になってて駐車場になってるのでそこに停めて買いに行ける。食べ終わったら裏手の光明寺のでっかい不動明王を観に行こう。
そうそう、この下の地図の県道181号を挟んだ建物の並びを見てくれ。間口が狭く奥行のある住居。これも奥州道中氏家宿、街道沿いの名残なんだな。
石田屋
さくら市氏家2677-1
9:30-18:00
いつものごとくツマと腹減ったなあ、夜ラーしたいなあ、と話していて午前0時の今開いているお店はないものかとググっていた時のことだ、ふとネット上の記事に「おっちゃん」の名前を見つけたのは。
「おっちゃん」は20数年ぐらい前に俺がよく行っていたラーメン屋。黒磯の住宅街の中にぽつんとあって、最初はなかなかたどり着けなかった。現在 黒磯の市内は、鳥野目街道、板室街道、埼玉街道を貫くようにバイパスが出来、アクセスが良くなったが、地元民でない俺にとっては住宅密集地に埋もれた銘店といった感じだった。店に近づくとぷうんと本格とんこつ店独特のくさいにおいが漂っていたっけ。
かつて、栃木県北には本格的なとんこつラーメンの店がなかった。ラーショは昔からあったけどそれはおいといて。その後、これは!と思えるお店が2つ出来た。西那須野の「福麺」と黒磯の「おっちゃん」だ。いつしかこれらの店舗はなくなってしまい、県北で本格的なとんこつを食べるのには「哲麺」の登場を待たねばならなかった。
黒磯新町の「おっちゃん」が復活しとった!閉店から8年、亡くなったオヤジさんの意志を継ぎ息子さんが今年の5月に営業を再開、前に数台駐車出来るようなお家に建て替えたそうだ。
博多とんこつラーメン 650円
ひさびさの一杯を・・。いや正直当時の味は覚えてないけど。
・・うまかった。またひとつ夜ラースポットの選択肢がふえたのはうれしい。お酒も呑めます。
博多ラーメンおっちゃん
栃木県那須塩原市新町115-74
営業時間: 夜のみ営業
火~土 18:00~2:00
日 17:00~0:00
会津中街道交流実行委員会主催の「体験観光トレッキング 天空の古道 会津中街道を行く」に参加してきました。
コースは大峠林道駐車場から大峠~三斗小屋宿跡~麦飯坂~沼ッ原駐車場の予定でしたが、台風直後により湯川の水量が多く、渡渉が困難だったため深山ダム林道ゲート側に降りて終了という形になりました。
大峠林道終点駐車場から湯川手前戦土手までのログデータを地形図に落としたもの。kmlデータも「会津中街道交流会ウェブフォーラム」で公開しています。トレッキング終了後は湯野上温泉「洗心亭」で「夜楽会」が行われました。湯野上のお湯も最高でした。佐藤淳一先生とスタッフの皆様、企画運営お疲れ様でした。充実したプログラムで大変感動しました。
「会津田島の野仏」収録の田島静川の白湯山碑を観に行った。今回はじめて田島図書館に伺った。なんてモダンな建物!役場と保健センターと図書館が入ってるようだ。「田島組栗生沢村西軍敗残兵始末」をコピったついでに旧田島町静川地区の場所を聞く。静川地区といっても広いだろうから住宅地図で辺りをつけようと思ったら、なんと今回の塔碑の施工主とまったく同じ名前の当主のお宅があるじゃないか。この付近に間違いない。
静川地区。集落に向かう桧沢川に掛かる全長20mの高橋橋が、2015年9月の記録的な豪雨で流出したままになっていた。大きくえぐられた川岸の護岸は現在も土のうが積んだままになっている。
問題の石碑は高橋のたもとに集められた石仏群の中にあった。
田島静川の白湯山湯殿山飯豊山碑
明治2年(1869)72×69×34㎝ 37.198951, 139.694999
[表面]
白湯山
湯殿山
飯豊山
[裏面]
明治二巳年八月吉日
施主 野中惣右エ門
もともとはどこにあった石碑なのか伺おうと地元のおとしよりの方に伺ったら住宅地図掲載の惣右エ門さんは元校長先生で、とうの昔に亡くなっておられた。150年近く前の建立だからして、代々世継ぎが惣右エ門さんを名乗るやつか。
R289をはさんだ斜め前の集落にかつての静川の名主、細井家資料館がある。2011年12月に閉館。前述施主のお宅とは親戚とのこと。